大宰府にある国立九州博物館の「阿修羅展」に娘①とオクさん、そして義父母を連れて出かけた。9時30分の開館だから、早めに行こうと思い8時過ぎには家を出た。都市高速を通れば30分で着くと思っていたが、都府楼跡から渋滞し始める。それでも9時前には大宰府の大駐車場に到着する。参道を歩いて国立博物館に向かう。朝が早いのにかなりの人が歩いている。茶店の人の声が聞こえてきた。「毎日3時間待ちになっていますよ。早く行った方がいいですよ。」そんな声を聞くと。つい歩きのピッチが早くなる。チケットを購入して、長い長いエスカレーターに乗る。途中、動く歩道もあったが、動かずに絨毯が敷いてあった。この疑問は帰路に分かった。
やっと博物館の入口に到着だ。すぐに入場できると思っていたが甘かった。だらだらとセフティーコーンとバーなどで仕切ってあった。入場前の大渋滞だ。この渋滞は約1時間だった。それでも何とか特別展示室に入る。胸が高鳴る。阿修羅像の前は、すごい人垣ができている。三重、四重の人垣だ。近くで見ようしても押し返されてしまう。阿修羅像の前は、まさに修羅場の様相だ。
阿修羅像の尊顔は優しさと上品さが感じられる。でも、愚かな人間を諭すような厳しさも感じられる。三面の顔の表情もそれぞれ違う。それに体のしなやかさと優しさが顔とマッチする。まさに天平文化を具現しているようだ。奈良時代、今から1300年前に作られた仏像である。優しさが現代にも通じるせいか、時の流れを感じさせない阿修羅である。ボクも50歳を越えて、50有余年生きてきた。だから50年の年月の長さは分かる。その26倍の長さ、過去の時代の文化財だ。人間というのは、自分の経験した年月の尺度は持ち合わせる。だから、それ程昔とは感じられない。身近に感じられるのも50年生きてきた証しかもしれない。もし、100歳の人が阿修羅をみたら、自分の生きた長さの13倍の過去にしか過ぎないから、もっと身近に感じられると思う。生きている間に阿修羅像を見ることが出来てよかった。感謝である。
興奮に包まれて会場を後にする。振り返ると、入場までの待ち時間は「220分」になっていた。この調子じゃ九州国立博物館だけで50万人以上が観賞するのではないかな。ボクも最近2回も奈良に行ったので、興福寺のある春日山の麓も知っている。11月には興福寺で「里帰り阿修羅展」があるらしい。少し欲がでてきた。博物館ではなく興福寺で生の阿修羅を観たくなった。
追伸:帰路は歩くエレベーターまで行列が続いていた。220分もの渋滞ならば歩く歩道を動かせないのが分かった。