ひょっこりひょうたんの日誌

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七回忌法要 生きてる時は 光のごとき感じ 

母の七回忌法要を行った。三回忌までは親の世代の親戚まで案内をしていたが、七回忌法要からはごく身近な親族(兄弟やわが子…)だけで行った。前日まで寒かったのに法要当日は雲ひとつない晩秋日和であった。朝一番にお寺に出かけ、いつもと同じように、いや少し丁寧に墓掃除、そして生花を供える。そして、お寺のお堂での法要が始まる。広いお堂に身近な親族が椅子に座る。お寺の住職の読経が始まる。ボクは「般若心経」を少し唱える程度しかできないが、住職の読経の意味を考えながら耳をすませる。

父はずっと前に亡くなっていたから、母は父の供養を毎日きちんとこなしていた。ボクはそのお手伝いしかしていなかった。いつも母に任せきりだった。母は毎朝、仏壇で自己流の読経を上げていた。ボクはそれをいつも聞いていた。

「お父さん、今日も一日健康で暮らせますようにお守りください。子どもたちも○○○一日健康で暮らせますようにお守りください。」毎日の供花や読経で母の一日が始まっていた。ボクは、そこまでしなくても親だから許してくれるみたいな無精者で、日々仏壇に手を合わせて拝む程度で、仏壇の祀り事はオクさんに任せ放しだ。そんなボクでも年回忌法要では施主として振る舞う。そんな年齢になってしまった。次は13回忌法要、そして父の50回忌法要が待っている。その時までキチンと祀り事が出来るように、いつまでも元気でありたいものだ。

法要が終わるとホテルでの会食だ。1歳半の長男の子ども(ボクの孫)が畳の上を行ったり来たりして場を和ませる。こっちは、それを横目に孫の世話もせず酒を飲んでいる。昼間の酒は気持ちよくさせる。これで法要も無事に終わって一安心の気持ちも心を安らげる。そして、兄弟や子どもたちは、それぞれの住まいに飛行機や新幹線で戻っていく。見送りをして我が家に戻ると、もう夜も更けてきた。あわただしくも充実感のあふれる一日が過ぎ去った。

それにしても、亡くなったものの年回忌法要はあっという間にやってくる。その間生きているものは、日々年をとっていく。身近な法要は生きる時間の短さ、人生の儚さを実感させてくれる。でも精一杯生きなきゃいけないね。
by hyocori-hyoutan | 2009-11-25 06:14 | 家族

マラソン雑学は一流、記録は二流、そしてランニングフォームは自己流の三流、しかし、マラソンと人生を結びつける哲学は特級です。飲む時は年を忘れて、酒なら何でも来い!飲んだ分だけ走らゃいいと思っています。


by hyocori-hyoutan