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下駄を鳴らして奴が来る ボクの青春 今思い出す(3)

大学の応援団に入った同期の1年生は11人だったかな。すぐに辞めた者をいたので、本格的な練習が始まったゴールデンウィーク過ぎには9人になっていた。高校時代にオサラバした学生服…もう着ることがないと思っていたのだが応援団に入ってしまったので、また必要不可欠なものになった。ボクは首周りが大きかったので、下にワイシャツを着て学生服を着ると詰襟が首の動きを邪魔をする。大嫌いな学生服とのかかわりは嫌であった。

練習は大変だった。スポーツを見るのは大好きだが、運動は苦手だった。基礎体力がなかった。押忍(オス)の挨拶に始まる団生活であった。授業は午後4時40分に終了をする。応援団の練習は午後5時からだ。授業を終わって部室に向かう足取りは重かった。この20分が暗黒の時間帯だったのだ。きつい練習を思うと顔も下向きになってしまう。

でも一歩一歩、武夫原(グランド)の北側、立田山側にあった部室に向かう。部室に入るときは、"押忍"と大声で、両手を斜め前に突き出し、背も45度に曲げて挨拶をする。狭い部室には長椅子が四列ほど並んでいた。一番奥には机と椅子が対面で配置されていた。最上級生の席だった。練習着はジャージの上下である。ジャージ上着の下にはシャツは着用しない。だから冬は寒いし夏は暑い。ジャージパンツは、うさぎ跳びや四股立ちをするので、先輩のジャージは膝は破れ、股も破れていた。

靴は今みたいなブランド靴ではない。安っぽい運動靴だった。猛者の先輩は裸足で砂利道を走っていた。よく怪我をしないものだった。破れた靴でも気にしない。磨り減っていても気にしない。履く靴下も毎日洗わず次の日も同じ靴下を着用していた。汗臭いジャージも毎日洗濯せず、そのまま部室に干していた。本当に汗臭い部室だった。でも当時は気にしていなかった。そして、着替えをして練習場に出て行く。約2時間の練習開始だ。
by hyocori-hyoutan | 2010-03-14 16:46