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知覧から長島、そして天草の旅…思い出深き旅(1)

鹿児島に行ってきた。九州地区研究大会があったため、鹿児島市内のホテルで開催された。夜は同ホテルでの懇親会が開かれる。地元焼酎の有名銘柄が多数並べられていた。乾杯のビールは2,3杯にして、珍しい焼酎ブランドの飲み比べをする。どうせ飲むならロックで、グイグイと…。気持ちよく酔っ払いそのまま部屋へ、そしてベットでいつの間にか寝てしまう。
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でも翌日は朝6時に起きてホテル近くの防波堤を散歩に行く。約1時間のコース。これで酒も体から抜けていく。見上げれば桜島が雲に覆われている。朝は曇りだがその後は晴れという予想だ。今度の旅行も天気に恵まれるみたい。
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朝10時半には、研究大会も終了、早速、鹿児島市から約40㎞南に位置する知覧町に出掛ける。そのルートは山越えであった。知覧茶でも有名な町だ。美味しいお茶ができるには朝晩に冷え込みが必要だとのことであり、知覧は山の中でその条件に合致するみたい。まず最初に訪問したのが「知覧武家屋敷」である。江戸時代、薩摩を治める島津家、その分家の佐多氏が治めていた知覧の武家屋敷が200年以上の時空を超えて美しい姿(石垣の街並みと庭園)を見せている。
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近くの矢びつ橋で記念写真に納まる。
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次に向かったのは今回の旅行で是非行きたかった「知覧特攻平和会館」である。
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知覧飛行場は昭和16年陸軍のパイロット養成学校とした開設されたが、戦火が厳しくなる中で最後の戦況を有利にする作戦として特攻の基地となった。沖縄戦に向かう特攻隊員、1036人が戦死した。そのうち402人が知覧から飛び立った。館内は撮影禁止だった。遺言がきちんと整理されてあった。明日は特攻として命を落とすことがわかっていながら冷静に家族や両親への気持ちを伝える。追い詰められた状況で気が狂いそうな中でも、筆は冷静に、でも感情を込めた言葉が続く。冷静だからこそ心の葛藤を考えるととても苦しい。17歳から30歳までの若者、気が狂った若者でなく、日本の将来を見据えた行動、薄々日本が負けることに感じていたが、それでも少しでも戦況を変えたい。自分の特攻によって少しでも日本が有利な戦争終結に持っていきたい…。そんな気持ちが伝わってくる。
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戦後を平和の中で過ごすことができたボクにとっては、ただ言えるのは「ありがとうございます、日本の平和を守るために皆様の死を無駄にしません。日本が平和に過ごせること、日本が世界の平和に貢献すること、世界の人から尊敬される日本であり続けること誓います」…と心に呟いた。
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その会館を出ると石碑が立っていった。映画「俺は君のためにこそ死ににいく」の石碑だ。特攻隊員の遺言の中でも、もちろん「天皇陛下万歳」もある。それは否定できないが、恋人宛の遺言もあった。「俺のことは忘れて、自分の人生を大切に戦争が終わっても生きてほしい。でももう一度君に逢いたい」そんな遺書もあった。これについては別途ブログに掲載したい。
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そして特攻記念会館から2㎞離れた知覧の街中に今日の宿「富谷旅館」に到着した。昭和20年頃は「富谷食堂」であり陸軍指定の食堂であった。多くのパイロット練習生、特攻隊員が出入りしていた。経営者は鳥濱トメさんで、特攻隊員から「母」と呼ばれるほどの親交があった。戦後は死亡した特攻隊員の家族にも積極的に手紙などを書いて最後の姿を伝えていった。本日は、富屋旅館別館に宿泊した。
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次の日の朝も知覧の街中を散歩した。気持ちが乗ったせいか少し飲みすぎた。目が晴れてしまった。やはりランニングなしに飲んでばかりいたら体調が狂う。知覧の街は早朝は静かである。
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朝食会場は、富屋旅館本館の座敷であった。畳替えはされ改修はされているが、廊下や柱は昭和20年そのままである。特攻隊員が食事を摂った部屋である。泊まった客はボク達夫婦2人だけであった。おかみさんから昔の話を聞かせてくれる。
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部屋の外には縁側の廊下が広がる。ここに特攻隊員と鳥濱トメさんとの笑顔の写真が飾ってあった。この縁側で撮った写真だ。死を覚悟した若者とは思えない笑顔が心に響く。
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by hyocori-hyoutan | 2014-05-13 23:07 | 家族