道徳教育 民主主義国家では 必要なもの

道徳教育についての意見は様々である。12/29(月)の産経新聞の「正論」欄に加地伸行氏(立命館大学)が執筆していた。読みやすく理解しやすかった。以下、その感想である。

人間は生物だし、根本的には利己主義である。しかし、家族の形成、地域社会の形成、そして国家の形成をする道を人間は辿ってくる中で協調して我慢することを学んで、文明、文化を発展させてきた。社会の中で己の生きる楽しみを築いて、社会なしでは、人間は生きることが出来なくなった。そのために社会を守るためのルールを作り、それを守ってきた。ルールが崩壊すれば社会も崩壊する。社会が崩壊すれば、一人ひとりの生きる楽しみ、物、そして心の豊かさも喪失する。その社会を守るルールが「道徳」になる。

もちろん、人間の歴史の中で一部の人間が権力をもつ全体主義の時代(今の北朝鮮や中国もそうだ)もあった。そこでは、権力者の保身で社会のルールの押し付けをして、個人個人の生きる権利が制約されてきたのも事実だ。その負の歴史を経験したからこそ、個人の自由や多用な価値観を守ろうとする動きもある。これは、力での制圧に対する人間の根源的な反発であり自由願望である。

そして世界の多くは民主主義制度を取り入れた。一部に権力が集中する全体主義への反省からである。日本も戦後の繁栄は民主主義から来ている。だから、今、道徳教育が進める狙いは「心」の豊かさへの転換であり、世界の国々から尊敬できる民度を高めることである。道徳は、これを実現に導く人間の英知だ。

また、道徳は絶対的なもの、相対的なものに分けられる。絶対的道徳は、人を殺してはいけない、物を盗んではいけない・・・といった社会秩序の鉄則、公徳である。相対的な道徳は、自己実現と社会的使命の間で苦悩積み重ねる中で、生き方を学ぶ訓練である。それには正解がない自己訓練だ。たとえば、遭難にあって3人が乗ったボートであるが、このままでは沈んでしまう。一人しか乗れないのだ。その時どうするのか・・・。こんな設定が個人の判断力を高めていく。これを私徳という。

道徳教育とは、公徳を徹底的鍛え、私徳の考えを高めていくことになる。これが民主主義社会での道徳教育になる。ただし、日本の政治体制を全体主義としてとらえたら、道徳教育反対になり、民主主義社会としてとらえたら、道徳教育賛成になる。

民主主義政権に対して批判的なジャーナリズムは必要であるが、民意を反映した総選挙の結果の政権を全体主義、個人の自由を奪う政権と位置づける朝日や毎日新聞の論調はおかしいものだ。総選挙の結果を認めず、投票率や選挙制度のせいにして、現実を認めてないように思う。

by hyocori-hyoutan | 2014-12-30 14:09 | 日本を考える