母の日 風になった 親を思う……

よくお邪魔するHPに「母の日」のことを投稿したので、自分のHPに書き込みをしたくなって、今パソコンに向かっている。また、今日の昼間、新築祝いに行った、その知人の家でも最近、母親を亡くして、49日法要も終わり、わが夫婦だけを招待してくれた。入居する予定だった母親も病気のため亡くなり、結局新築の家には住むことがなかったそうだ、その母親の部屋等も見せていただいた。人生ってなかなか、思うようにはならないものですね。「親孝行したい時に親は無し」ですかね。

我が家でも「母の日」には、母をよく食事を招き、我が家で食事を一緒にしてカーネーションや日常的な使用するサマーセーターや下着を贈っていたことを思い出す。c0070439_0271145.jpgあんまり、親子の間でかしこまった事がおくての自分にとって、なかなか出来ないことだが、嫁と姑の関係にある妻が、その役割をきちんとこなしてもらったことに、母親が亡くなった今も感謝している。その母の三周忌も終わり、ほっと一息をしていた訳だが、冒頭のお気に入りHPを読み、再び「母の日」に思いを寄せてしまった。
  (写真は平成4年、73歳の母の日にて)

早く父親が亡くなったから、以後の30年近くは配偶者のいない生活をしていた母であった。小生も結婚後は同居した時期もあったが、大部分の期間は一人暮らしであった。もちろん近くに住んでおり、朝、晩に顔を見せることは絶やすことはなかった。仕事の帰りに顔を見せると、必ず今日の出来事を楽しそうに話してくれた。たまには聞いたことのある同じ話もあったが、話を中断させることもなく聞き役にまわっていた。そして、貰い物や買い物で買ったものを家に持って行くように毎日のように渡された。

そして、晩年、身の回りのことを自分で出来なくなり、母の家の中をじっくり見ると、家の中が全く整理されてなかった。毎日、顔を出しておきながら、日常生活の苦労や呆けの進行に気づかなかったことに愕然とした。今は、老いた母でなく、60歳代の若かった頃の母の写真を部屋に飾っている。だって、思い出は、元気のいい頃の親のほうが、こっちも元気をもらえるもの。

母の日なのに、何もしてやれずにゴメンね!

最近新聞で読んだ新井満さん(マイブログ参照5/12)が翻訳して歌をつけた「千の風」の一節です。『私のお墓の前で、泣かないでください。そこに私はいません、眠ってなんかいません。千の風に千の風になって、あの大きな空を吹きわたっています。』そして、その詩に感動した人からのコメントでは、『風が吹き、私のほほに爽やかな風を送ってくれるたびに、愛していた人のことを思い出します。』とありました。

親を祀ることは、手を合わせるだけでなく、心の問題もありますね。

by hyocori-hyoutan | 2006-05-14 23:46 | 家族