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数字で遊び 数学で人生を語る 博士の愛した数式  

再上映館である「ソラリア2」で映画を観た。「博士の愛した数式」である。劇場で予告編を観たことがあった映画であるが、観たいと思っていながら封切りでは観ることが出来なかった。そして、今日それが実現した。チケットは毎月プレゼントしてもらっているニッセイからの招待券である。着いたの開演15分前で既に客を席に誘導した後であり、会場はほぼ満員であった。運よく最後尾の真ん中の座席が2つ空いていたので、通路側の客に頭を下げながら座席をゲット!

交通事故がきっかけで、記憶が80分しか持続しないようになった数学者が主人公、事故のあった1976年(だったかな?)以前の記憶しか持っていない。もちろん、記憶だけの喪失だから、数学者としての知識と見識は失っていないし、生きる人間としての優しさも失ってはいない。だからこそ、記憶だけの喪失は本人を含めて不幸なこととして物語は始まる。

鑑賞する小生の方は、もともと数学が好きなので、数学的な言葉がストリーの中に頻繁に出てくる、この映画は総評として面白かった。ただ、ストリーを追うのは止めて、その中で記憶に残った数学、あるいは幾何学のワンシーンを一つ…
(子供が事故で病院に運ばれ病院の廊下で、子供のことを心配する母親に向かって主人公が心を落ち着けなさいと……という気持ちで語った言葉である。)

主人公(寺尾聡): 我々は「直線」を定規に鉛筆に充てて描いている。本当は、点と点を結ぶ最短の線である「線分」であるのに、便宜上、「直線」と言っているに過ぎない。ほんとの「直線」は、無限に伸びる線であり、目に見ることは出来ないし、心の中でしか見ることができないものである。

主人公が言いたいのは、目で見えるのは真実の一部あるいは、真実の仮定にしか過ぎなく、本当は心の中でしか真実は見ることが出来ない。この現世が全て正しいことではない。母親に対して心を落ち着けなさいと言っているのだろう。

宗教家、哲学者が「この世のものは仮の姿であり、真実は人間の心の中にある……」というならば納得いくが、数学者は言うとはちょっと思いもつかなかった。数学は絶対的なものであり、理系の根幹を成すものであり、物理学や宇宙学にもつながる。しかし、さすがに宇宙の果てまで数学で解明することが困難で、人間の想像の世界になってしまう。理系の人間でさえ、そうなってしまうのだからこそ、「宇宙飛行士は外から地球をを見てしまうと哲学者になる」ということは本当かな……と思った。

最後にもう一つ、映画からの最初のシーンからも……(中学生が数学の先生に尋ねるシーン)

中学生: 先生、人間が数字を発見したのは、いつ頃ですか?
先生 : 人間が創造される前から数字は存在していたんだよ。人間が、いろんな事象を説明、解説する手段として数学、数字を使っただけだよ。

最近は数学者の人生本が売れていると言う、理詰めでありながら、理詰めでいかないことが人生だと言うのであれば、共感が得られるのが当然ですね。最後に、マラソンを楽しむ人間も、どんなに頑張っても記憶は薄れてしまうが、数字としての記録が記憶として残せるのが嬉しいですね。
by hyocori-hyoutan | 2006-05-28 23:31 | movie