内なる物欲 捨ててこそ 生き方が生まれる
2006年 08月 02日飢えに苦しむ世界に落ちた亡者である「餓鬼」に食べ物を与えることにより、「餓鬼」は極楽に向かい、施しをしたものは寿命を延ばすともに先祖の人たちも極楽浄土で暮らせるという法要である。つまり慈悲深い人間にならなければならないという仏教上の教えでしょうか。
ただ、飢えというのは、食べ物がないという苦しみだけではない。物欲の問題もある。必要な物はあるのに、更に物欲が強くなると精神的飢えの苦しみの状態は続く。つまり「食べ物」は満ちていても「餓鬼」の状態は続くのである。われわれは幸いにも食べ物には飢えてないが、物欲の飢えに苦しんでいる者は周りにいるのではないか。
だから、この施餓鬼会法要は、我々の心の内にある物欲という「餓鬼」に対して、「施し」をすることであり、この場合の「施し」は物を与えることではなく、欲望や物への執着を捨てさせることなる。
施餓鬼会法要とは、「他人に対して慈悲深くなれ」「内なる自分に対しては物欲を捨てて謙虚に生きよ」という意味があるのでしょうか……。
今回のコメントは「施餓鬼会の由来」のパンフレットを読んで、自分なりに組み立ててみました。
by hyocori-hyoutan
| 2006-08-02 22:59
| ああ無常