ひょっこりひょうたんの日誌

hyocori.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:スポーツに一言( 90 )

福岡国際マラソンの応援に行ってきた。今回は5㎞地点と40㎞地点での応援である。まずは5㎞の西新地区である。まだまだ大集団でカメラを構えていると選手がわからない。
c0070439_0352545.jpg
第一集団に続いて第2集団も続く。
c0070439_0353790.jpg
その1時間半後には40㎞地点で応援。途中は昼飯タイムでスマホで試合経過を観察していた。ワンセグの調子は悪く残念であった。トップはケニアのマウイ選手、まだまだ軽快である。
c0070439_0355077.jpg
2位争いはモンゴルのバトウチル選手とエチオピアの選手、バトウチルもきつそう、抜かれてしまうか。
c0070439_036548.jpg
続いて来たのは、ホンダの藤原正和選手、33歳のベテランだ。勝負強い。単独4位に上がって上を狙う。
c0070439_0362040.jpg
その後ろ、そのまた後ろに中本選手がやってくる。ちょっと疲労感もある。今日は粘りが発揮できないか。日本のエースとしては残念だ。
c0070439_036323.jpg
今年は沿道の応援が少ない。やはり川口選手(埼玉県職)の不参加の影響が大きい。今は最大の人気が川口選手、その不参加の影響は大きい。ちなみに同日の那覇マラソンに川口選手は出場して大会記録を10分近く更新する2時間13分で優勝したらしい。早く日本の新のエースの誕生が期待したい。
by hyocori-hyoutan | 2014-12-08 00:38 | スポーツに一言
別大マラソンの応援に行ってきた。あいにくの濃霧の天候。でもマラソンにとっては風も弱く気温もそれほど高くない。マアマアの天気。第一応援地点は別府駅付近4㎞地点、まだまだ大集団である。DeNAの上野選手53番がペースメーカーを務めている。
c0070439_2131226.jpg

その集団の2分後に猫ひろしがやってきた。ピッチ走法でまだまだ余裕がありそう。2時間30分切が目標らしい。
c0070439_21312491.jpg
次のポイントは24㎞地点である。まだ上野選手が引っ張る。日本人期待の前田選手(九電工)、今井選手(トヨタ九州)も集団の中で推移する。
c0070439_2131507.jpg
そして、35㎞付近の橋の上では状況は一変。ウガンダの選手が今井選手を約80m引き離している。ピッチもリズミカル…勝負あった感じ。
c0070439_21323268.jpg
でも、今井選手がやってきた。まだ諦めていない。必死の形相で追いかける。こっちも先回りして競技場入り口に移動する。
c0070439_2132481.jpg
ラスト500mの競技場入り口で待ち構える。ラジオの生中継によると最大18秒差から6秒差に今井選手が追い上げていた。その6秒差を生で見るとかなりの距離…無理か。
c0070439_213314.jpg
やはり、ウガンダの選手もラストスパートして差は縮まらず。そのままゴールへ。それでも今井選手は2時間9分台、次につながる健闘だった。
c0070439_21331692.jpg
そのゴールの23分後に猫ひろしがやって来た。目標の30分切はできなかったが、33分台の記録だ。立派なものだ。並外れた身体能力がなければ出せない記録だ。
c0070439_21333070.jpg
ただ単に別大マラソン応援のために別府、大分までやってきた。このまま帰るのは勿体ない。どこかに一泊して帰ろう。
by hyocori-hyoutan | 2014-02-10 22:00 | スポーツに一言
九州一周駅伝大会が本年をもって62年の歴史を閉じる。ちょうどボクの生まれる2年前から始まったことになる。ボクの家が馬出にあったので、最終区の篠栗~福岡間の中間点付近になる。駅伝コースは、箱崎商店街、筥崎宮前を通って千代町に抜けていく大学前通りだった。中央線も引けない狭い道(今もそうであるが…)だった。
c0070439_21422833.jpg


そんな道の両側に人が押し寄せる、どうにか車1台が通り抜けていく、その後ろを選手が必死に走っていく。大きな声援が飛ぶ。「福岡がんばれ」「宮崎がんばれ」と…九州各県の一体感と県民意識が交錯する。何も刺激がなかった昭和30年代の頃には、駅伝応援はハレの日だった。
c0070439_21312312.jpg

そんな子供の時の原体験がランニング熱を生み出していく。遊び場所は道具山神社だった。そこを起点に白山神社を経由する一周コース(350mくらい)が駅伝コース。それぞれ3人くらいで2チームに分かれて駅伝遊びだ。もちろん年齢差もあった遊びだったので、ハンディキャップをつけてレース開始。最初から飛ばす、そしてバテル。最後は歩くような感じで、タスキじゃない手タッチで次の子にリレーをしていく。何も遊び道具が要らないゲームだった。

でも小学校高学年頃からは、体力のなかったボクは、小学校、中学校のマラソン大会でもいい成績は収められなくなった。自分が走ることではなく、応援すること、見ることに熱中し始める。その頃は、花形選手は寺沢徹(クラレ)、中尾隆行(東急)、広島日出国(旭化成)等だった。毎年のように福岡国際マラソンで応援をした。その後、フランクショーターが出てきて、宗兄弟や瀬古の時代がやってきた。

そして、そのあとは自分が走るようになった、マラソンも走るようになった。人と比べて劣っていた体力も長距離だけは別だった。自慢じゃないがフルマラソン、2時間42分まで上り詰めた。今も走ることだけは続けて還暦を迎えてしまった。その原体験というべき「九州一周駅伝」の歴史が消えることは寂しいものだ。
by hyocori-hyoutan | 2013-11-09 21:48 | スポーツに一言
宗像市、福津市で繰り広げられた西日本女子駅伝の応援に行ってきた。車は宮地嶽神社に駐車して徒歩でコース沿道に移動する。応援ポイントは第3区10㎞の中間点付近、前半の重要区間である。有名選手も多く出走している。トップに来たのは九電工の加藤岬選手、2区のチェピエゴ選手の力走でトップ堅持である。
c0070439_20534355.jpg
でも、その後ろ20mには、ダイハツ岡小百合選手が引っ張る4人の集団が追い上げてくる。
c0070439_2053534.jpg
その後ろ100mには、天満屋の重友選手、ご存じの野口選手(シスメックス)の2選手が競ってやってくる。その後方にはワコールの福士選手もやってくる。ちょっと、福士選手は苦しそう。
c0070439_2054498.jpg
そこから急いで同区間の9.5㎞地点に移動する。3区はぐるっと周回するので2回応援できる。
c0070439_20541666.jpg
トップは入れ替わっていた。ダイハツの岡選手が単独トップに躍り出る。
c0070439_20542911.jpg
続いて来たのは大塚製薬の伊東舞選手、独特の横への腕振りで遠くからでも姿がわかる。
c0070439_20544269.jpg
そのあとは2人ほどの選手が走り去り、次に来たのは天満屋とシスメックスの重友、野口のデッドヒート、少し差が開いている。
c0070439_20545211.jpg
それから30秒ほど遅れて福士選手、明らかに体調不十分、世界選手権のあとの練習が十分でないか…。
c0070439_2055278.jpg
応援のあとは久しぶりに宮地嶽神社にお参りに、ちょうど七五三の時期と重なる。多くの親子、晴れ姿の子供たちで賑わっていた。
c0070439_20551496.jpg
これでやる気が出てきた。夕方には走ろうかな。走るイメージがあるうちに頑張ろう!
by hyocori-hyoutan | 2013-10-29 21:06 | スポーツに一言
1964年は昭和39年…この西暦と元号は、ボクと同じ世代ならみんな知っている。それほどインパクトのあった東京オリンピック1964であった。ボクは小学校6年生だった。家のテレビは白黒であったが、初めてのカラー放送したのは東京オリンピックからである。何故か聖火リレーを覚えている。小学校で聖火リレーのコースに連れて行かれた。確か吉塚駅前で五輪旗、あるいは日の丸旗を振って出迎えをした記憶がある。
c0070439_18591199.jpg
斬新なデザインのオリンピックポスターも記憶に残っている。陸上100mのスタート直後の足を蹴りだした瞬間の映像である。こども心にも白人、黒人、黄色人種などがうまく配置されていると思ったもんだ。小学校でも、図書室などでオリンピックのテレビを見た記憶がある。
c0070439_1955768.jpg
そして開会式は自宅のテレビで見た記憶がある。当然テレビのチャンネルはNHKだ。アナウンサーの「世界中の青空をここ東京の国立競技場に集めてきたみたいです」って名アナウンスがあった。大きな国の大選手団は当たり前、でもアフリカや太平洋に浮かぶ小さな国の民族衣装に身を固めた2,3人の少人数の選手団も子どもにとって印象的だった。世界にはたくさんの国が一杯あるんだなと思った。そして最後は開催国の「日本」選手団だ。揃いの赤のブレーザーのユニフォーム、なぜか白黒テレビなのに、赤のイメージであった。後からの写真などのイメージがそうさせたかも…。
c0070439_19145044.jpg
そして競技が始まった。日本の最初の金メダル第1号は、重量挙げの三宅義信選手だった。金メダル候補と言われていたが重圧をものともせずに金メダル、多分圧勝であった気がする。子ども心でも、重量挙げの種目、スナッチ、ジャーク、プレスの種目名も覚えた。今はプレスは行われていないとのこと。(wikipediaの検索で知った)
c0070439_19494922.jpg
金メダル以外でのインパクトがあったのは、柔道無差別級であろう。神永対ヘーシンク(オランダ)の決勝戦、軽中重量級の全てを制覇した日本にとって「無差別級」は無敵ヘーシンクが君臨している難しいクラスだ。一生懸命応援した記憶はあるが、抑え込みで神永の負け。起き上がれずしばらく寝たままで悔しさに耐えていた神永選手がいた。
c0070439_21223127.jpg
そして東京オリンピックで最高の視聴率(80%を超えていたか)を獲得した東洋の魔女、女子バレーボールだ。最後は相手のタッチネット違反で笛が鳴って終わり。セット2-0で勝っていて3セット目もリード、マッチポイント。優勝したのは嬉しかったが、最後はスパイクで決めてもらいたかったと思った。
c0070439_21261131.jpg
そして、マラソンである。当時からマラソンはオリンピックの最終日であった。東京の前のローマ大会で裸足で優勝したアベベ・ビキラ選手(エチオピア)が二連覇した。余裕の独走であった。ゴールした後も余裕綽々で、ストレッチや寝転がって柔軟体操をしていたのが印象的だ。
c0070439_21273772.jpg
このマラソンのテレビ生中継は、世界で初めてのことだった。中継車が先頭を追ってカメラに捉える。しかしテレビカメラ車は1号車のみ、2号車、3号車はなかった。あとはコース上のところどころに設置された固定ポイントで後方の選手をとらえるのみ。もちろん携帯電話もないから、テレビ中継のアナウンサーも正確な順位、ゴール予想タイムもわからない。日本代表は円谷、君原、寺沢の3選手。その順位もわからない。でも終盤の固定ポイントで円谷選手が2位で走っているのがわかる。円谷選手は自衛隊体育学校所属。そのまま国立陸上競技場のゲートを通過する。
c0070439_21282512.jpg
しかし、円谷選手が通過した後、すぐにイギリスのヒートリー選手がやってきた。アナウンサーも絶叫になる。「ツブラヤ、がんばれ!」「円谷、頑張れ」と叫ぶ。しかし徐々に差が縮まって行く。陸上競技場の観客からも悲鳴の声が大きくなる。テレビを見ているボク達も必死に「頑張れ!」と心から叫ぶ。でもラスト300mくらいでヒートリー選手に抜かれてしまう。逆転されたその差は縮まらす徐々に開いていく。夢遊病者のように疲労困憊の円谷選手も必死に足を運ぶ。そしてゴール後は倒れこんでしまった。日本の期待を一身に背負った円谷選手の感動のゴールであった。でもその3年後、メキシコ大会前に、故障と重圧に耐えきれず、自ら命を絶ってしまった。
c0070439_21513254.jpg
そして閉会式を迎える。確か閉会式の入場行進も国毎であったが、選手たちはお互いの健闘を称え、スポーツの素晴らしさを表現しようと自由に気の向くままに行進をする。日本選手団の旗手も様々な国の選手に肩車をされて行進をする。「スポーツは軽く国境を超える」の一コマであった。このような閉会式は東京オリンピックの時に自然発生的に生まれ現在も続いている。

小学6年生(12歳)のボクにとっても忘れえぬ思い出であった。ボクの孫も、今5歳、3歳、1歳だ。今度の2020年東京オリンピックの頃は、12歳、10歳、8歳だ。孫にもボクの味わったスポーツの感動を感じて欲しいものだ。
by hyocori-hyoutan | 2013-09-12 21:59 | スポーツに一言
東京オリンピックの2020年開催が決まった。朝4時頃からベットの上でスマフォのワンセグ放送を聴いていた。時々感度が落ちるので、肝心かなめのロゲ会長の「トッキョ」の瞬間は、静止画であった。その後にワンセグが作動して大きな歓声とアナウンサーの雄叫びに包まれた。東京開催を確信した。
c0070439_953334.jpg
c0070439_96169.jpg
c0070439_963293.jpg
感動した。東京開催に、プレゼンテーションの心のこもったスピーチに、オールジャパンのまとまりに、そして今から先7年間は、日本全体が共通の目標を持つことに…。

これを契機にスポーツ庁かな省かなもできるだろう。スポーツが街づくり、人々の生きがい、明るい社会、日本の自信につながるものと思う。もっともっと書きたいことはあるが今日はこれまで。

ボクのブログのワード検索で急上昇したのは、「オリンピック」だった。5年前かな。福岡が東京との誘致合戦んに敗れた時のコメントを書いたブログが大当たりになった。お暇ならちょっと訪問してください。

ここですよ。クリックしてね。
by hyocori-hyoutan | 2013-09-10 07:29 | スポーツに一言
c0070439_13524982.jpg
シンポジウムも盛会裏に終えることが出来た。少年スポーツの現状を考えるとともにどう改善していくのか…。基調講演は「クリエイティブでたくましいスポーツ選手の育成」である。具体的なエピソードを交えた講話は説得力があった。いく着くところは「スポーツ」と「体育」の2つの考え方が微妙に入り組んでいるところにある感じがする。スポーツは楽しくなければいけないが、体育は教育だから躾もしなければならない。躾が効果を上げるには体罰も容認するかもしれない。
c0070439_1353757.jpg
スポーツは楽しいものだから強制の概念はない。更に外国ではアマチュアに引退の概念は希薄である。プロスポーツからの引退はあってもアマチュアには引退がない。それがほんとうの意味での生涯スポーツと考えられる。日本にはほんとうの意味での「生涯スポーツ」はまだまだかもしれない。
c0070439_13532828.jpg
シンポジウムも面白かった。少年を指導する上で「選手をリスペクト」すること、「選手に考えさせること」などが大切なことであるメッセージが発信された。基本は子どもであっても人間としての1対1の信頼関係をもつこと。
c0070439_13535080.jpg
いい話を聴いてもすぐに忘れてしまうのが人間の常である。だから研修は継続的に受けて行かなければならない。
by hyocori-hyoutan | 2013-02-25 21:22 | スポーツに一言
本日のブログはちょっと宣伝です。仕事上で下記チラシの通りのシンポジウムを開催します。今、新聞やテレビで取り上げられているスポーツ活動における暴力や体罰に関わる問題です。基調講演は、アビスパ福岡の取締役専務の下田功(しもだいさお)氏です。南米コスタリカでサッカーコーチも務められた国際派であり、今も現場で少年サッカーの普及活動に精力を費やしておられます。熱の入ったお話が聞けると思います。そのあとは1時間あまりの第2部です。
c0070439_14452451.jpg
第2部はシンポジウムです。ラクビートップリーグのコカ・コーラーウエストレッドスパークスの監督の向井昭吾氏、ソフトバンクホークスの高橋和幸元選手、女子サッカーのJアンクラスの河島美絵元監督の3人のパネラー。進行は大分大学の谷口准教授です。

少年スポーツの未来、あるべき姿についての話を熱く語って頂きます。興味のある方はもちろん、そうでない人も是非足を運んでください。現在まだまだ席に余裕があります。当日の参加もOKです。皆様のご参加を主催者として待っています。

テーマ:スタージャンプ福岡シンポジウム
     第一部基調講演「クリエイティブでたくましいスポーツ選手(人材)の育成」
     第二部シンポジウム「指導者の役割」

期日:2013年2月23日(土)午後2時から

場所:早良市民センター 4階大ホール(福岡市地下鉄藤崎駅下車あるいて3分)

参加費:入場無料

ぜひぜひ参加してください。
by hyocori-hyoutan | 2013-02-18 22:45 | スポーツに一言
c0070439_0112250.jpg
福岡国際マラソンの応援、声援に行ってきた。まずは平和台陸上競技場でスタートを観戦する。天気は雨も予想されたが曇り空でそんなに寒くない。絶好のマラソン日和だ。ここにいるのは150人くらいかな。でも同時刻に大濠公園では600人近いランナー(2時間42分以内の持ちタイムランナー)がスタートをしている。先頭を切るのはペースメーカーのS&B食品の上野選手、思ったより長身だ。後で選手名簿を見ると181cmみたいだ。背の高いはずだ。
c0070439_0203965.jpg
選手が陸上競技場を出ていくと、すぐに六本松に移動する。16.5km地点だ。まだまだ大集団でやってきた。とりあえず連写でカメラに収める。すると大集団の中に川内選手がうまく写っていた。トップ集団のあとは数人づつやってくる。全部で60人くらいが通過すると、そのあとは多く離れている。時間にして2分程度かな…その時間が長いこと。2時間20分以内のランナーと、それなりのペースを守っているランナー集団との差であろうか…。最後の選手が通過するまで応援を続ける。
c0070439_0114464.jpg
そのあとは40.3km地点に移動だ。少年科学文化会館のそばだ。やってきた。途中、ラジオで経過は聞いていたので分かっていたが、JFEスチールのジョセフ・ギタウ選手が軽快な足取りで通過していく。距離にして400mくらい遅れて来たのが旭化成の堀端選手(あいにく写真は撮れず)、そのあとはポーランドのゾフト選手、そして日本人ランナーが続く。藤原、黒木、川内選手と続く。
c0070439_0114845.jpg
c0070439_012429.jpg
c0070439_0121083.jpg
c0070439_0122898.jpg
最後のラスト2kmのあえぐ選手の頑張りが印象的だ。トップ近くの選手、2時間30分、40分の選手…みんなめちゃくちゃ速い。でも最後はあえいでいる。市民ランナーは更に3時間、4時間もあえぐ、どっちが大変だろうか、精神的にも肉体的にも苦しいのは市民ランナーも負けていないと思った。
by hyocori-hyoutan | 2012-12-03 23:10 | スポーツに一言
c0070439_22564267.jpg
12月の第一日曜日は福岡国際マラソンの日である。物心ついたころから、箱崎浜で応援をしていた。なぜか平和台陸上競技場まで応援に行った記憶はあまりない。でも20年前くらいからは、いつも平和台に出向くようになった。応援の前には自分のノルマを果たしておきたいものだ。家を9時過ぎに出て大名の紙与パーキングに車を止めて大濠公園に…
4周走って気持ちも乗ってきた。応援の気合も高まる。平和台のスタンドにはスタート12時10分の10分前に陣取る。
c0070439_2257089.jpg
今日の応援のメーンは、やっぱしトヨタ自動車九州の今井選手だ。少しづつであるが、自己記録を更新しているので今回も日本人一位、サブ10への期待も高まる。
c0070439_22574778.jpg
平和台を3周して福博の街に飛び出していく。毎年、寒いやら暑いやら安定しない天気だが今年は、まあまあの天気であろう。1km通過は、ペースメーカーが2分57秒で通過である。このままいいペースを維持すればいいのだが。最近は2時間08分台の日本人記録も出なくなった。ボクと同世代の宗兄弟や瀬古選手の時代を上回ることができなくなった。まあ、素人はしょうがないが瀬古や宗さんなんかは煮え切れない気持ちになっているかもしれない。
c0070439_22583439.jpg
次の応援ポイントは六本松だ。16km地点くらいかな。先頭集団が白バイに先導されてやってきた。集団で来ると個別認識が難しい、あっという間に通り過ぎていく。
c0070439_22584741.jpg
後方の選手たちは、それぞれのペースで集団を形成していく。一人で走るより集団で走った方がリラックスしていい走りができるみたいだ。見る方は第1集団や第2集団として区別して見るが、走っている選手たちは自分の所属する集団が第1集団と思い、絶妙なペース配分で集団から脱落しないように力をためて走る。面識のない選手が横にいても、その息遣いと自分の息遣いを比較して、自分の力量を推察する。
c0070439_225936.jpg
今度は、歩いて40km地点まで移動する。正確に40.2km地点だ。ゴールまであと2kmの応援ポイントだ。もちろん、ラジオを持ち歩いているのでレース経過の情報は持っている。日本在住で実業団で活躍しているケニア選手の2人が飛び出している。日本人をトップ争いに絡ますためかどうかしらないが、ケニアやエチオピアからの招待選手はいないのだが、日本在住のケニア選手が一般参加するとは…想定内か想定外か。トップのダビリ選手、2位のムワンギ選手は順位確定で通り過ぎていく。写真は2位通過のムワンギ選手だ。トップのダビリ選手は応援していてあっという間に通り過ぎていく。少し疲れているみたいだが、差が開きすぎている。
c0070439_22592827.jpg
そして2位のムワンギ選手に遅れること、1分40秒でやってきたのは、川内選手と今井選手だ。激しいデッドヒートが38kmから繰り返していた。しかし、その争いも40km過ぎに決着しようとしていた。何度にも及びスパートで引き離しを図る川内選手に対して何度も食い下がっていた今井選手…、そし逆スパートをかけたものの今度は川内選手に食い下がれる。給水の一瞬のすきでスパートしたのは川内選手、もうついていけない。勝負所だ、あと2kmしかない。競技場に持ち込めば今井選手が勝ったかもしれない。でも数度に及ぶ川内選手のスパートが冷静さを失わせたかもしれない。足が動かず差が開くままに走るのはつらい。
c0070439_22594660.jpg
そしてダビリ選手が平和台陸上競技場のゲートをくぐった時に打ち上げられる「花火」の音が聞こえる。その30分後にやってきた選手がいた。40kmの関門閉鎖の1分前である。2004年大会の優勝者であるナンバーカード61番の尾方選手(中国電力)がやってきた。もう呼吸を整えながら一歩一歩ゆっくり走っていた。
「尾方選手頑張って!」と声をかける。その声に尾方選手は反応しない。反応したのは、周りの選手だ。関門をギリギリ通過した選手にとって、自分が抜いていこうとしている選手が「尾方選手」であることに驚いたみたいだ。
c0070439_230266.jpg
あっという間に集団に飲み込まれ、そして離されていく。当然のごとく、途中で棄権すればいいのに…という気持ちもしたが、出た以上は完走するのも考え方の一つである。足は硬直しているが、自分の今後の競技生活を振り返る厳しい時であっただろう。
c0070439_2301863.jpg
Bグループでも2時間42分以内のタイムを持つ選手しか参加できない福岡国際マラソン、実業団選手よりも市民ランナーにとって高いハードルだ。このレースの後方を走る選手は鈍足みたいに見えるが、とんでもない話だ。2時間42分以内のランナーは、素晴らしい選手、いや厳しい練習を積み重ねた選手たちだ。
by hyocori-hyoutan | 2011-12-06 00:24 | スポーツに一言

マラソン雑学は一流、記録は二流、そしてランニングフォームは自己流の三流、しかし、マラソンと人生を結びつける哲学は特級です。飲む時は年を忘れて、酒なら何でも来い!飲んだ分だけ走らゃいいと思っています。


by hyocori-hyoutan