ひょっこりひょうたんの日誌

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カテゴリ:わが半生記( 63 )

11月にある大学クラブの同窓会の打ち合わせに日帰りで熊本に行ってきた。世の中便利になって博多-熊本間も新幹線「つばめ」に乗って45分でつながっている。昔々の40年前のボクの学生時代は急行「にちりん」なんかで1時間50分かかっていた。もちろん、特急もあったが特急料金が高いから、もっぱら急行だった。料金も640円だったが、今はビックリつばめ往復日帰り切符で5600円くらいだった。
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熊本駅前も新幹線口と白川口になっていた。新幹線口は全く右左がわからない。白川口に立ってやっと昔の面影が残っている。何となく落ち着く。
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白川口にある市電「熊本駅前」から乗り込んで市役所前まで乗車だ。市電は均一料金の150円だった。うれしいことのnimocaを使用可になっていた。
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市電を下車すると熊本城のお堀が広がっている。学生時代も見た景色であるはずだが、とても新鮮に美しく思える。年のせいか、若かったときは景色に見とれる余裕がなかったのであろう。
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打合せの時間まで余裕があったので上通りを歩く。峰楽饅頭本店の暖簾が目につく。ここは、ボクにとって思いで深い店だ。正月の初練習のあとの新年の恒例行事で、ここ峰楽饅頭にやってきた。1年生はノルマが10個であった。必死に10個食べた。その後に寿司を食いに行った…むちゃくちゃな新年行事になっていた。ただ懐かしいのみだ。今でこそ福岡天神「岩田屋」で行列ができているが、当時はそれほど繁盛している印象はなかった。
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打合せといっても、半分以上は宴会だ。4人ほどで焼酎5合瓶を3本空ける。年齢は58歳から63歳の人間だ。まだまだ酒量は落ちてない。自慢しちゃいけないが…。そして2次会は下通りの桂花ラーメン本店だ。そこで久しぶりにビール、ラーメン、餃子の2次会フルコースを食べてしまった。やっぱし、熊本ラーメンは美味い。
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気が付くと、もう21時だ。17時から飲み始めて4時間経過。帰りの「つばめ」は21時50分、酔っぱらいながら再び市電に乗って熊本駅前に到着。どうにか間に合った。予定通り新幹線に乗り込む。
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つばめ車内では熟睡だ。博多終点だったから、着いて目を覚ます。あわてて列車から降りる。家に辿り着く。服を脱ぎながら手荷物検査をする。ハンカチ、財布、腕時計……。ない、スマホと老眼鏡がない。どうも忘れてきたみたい。列車内か、飲み屋か、ラーメンやか…。思案してもしょうがない。朝まで不安を感じて床に就く。朝7時から目をさまし、博多駅の落し物センターに電話する。「あります」との返事だ。良かった、良かった。もう限度を超える飲み方は卒業しなければいけない。反省の日帰り熊本ツアーだった。
by hyocori-hyoutan | 2014-10-21 23:58 | わが半生記
ボクの今年の年賀状です。ことしもよろしく。
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by hyocori-hyoutan | 2014-01-01 08:20 | わが半生記
定年退職後の第2の人生、その仕事に従事して1か月がたった。定年退職を迎えるにあたって、これまでお世話になった人を中心にして、50名ほどに退職挨拶と新しい勤務先や今の心境を気の向くままに書き綴ったはがきを郵送していた。すると、退職を祝い慰労する心温まる手紙を5,6枚もいただいた。どの葉書もすべてうれしかった。仕事柄、これまで付き合ってきたスポーツ関係者からのお礼の手紙は、僕が仕事上のことでしか過ぎない行為が、とても心のこもった対応だったと20,30年前の事への御礼もあった。やはり仕事、プライベートに関係なくて人に接することの大切が再認識された。

また、大学の恩師、もう85歳を超えている先生からも慰労の葉書をいただいた。せっかく専門教科である考古学を教えてもらったにもかかわらず、それを捨てて単なる事務屋になってしまったのだが、いつまでも温かく見守ってくれていた恩師である。「君の人生の生き方に敬意を示します、君の色に染めた道がさらに伸びていくことに壮快さを感じています…」と達筆で書いてもらった。ありがたいものだ。

ボクの仲人、当時ボクの職場の上司の人(もう81歳)からは、何度も携帯電話を掛けていただきながら、ボクは気付かなかった。やっと通じたら、その日の昼、西戸崎駅からタクシーで海中YHまで足を運んでくれた。応接室で昔話に花を咲かせる。こっちは孫の話、仲人夫婦は孫の結婚&ひ孫の話。仲人にとってはやっぱし33年前のボクが結婚した当時の若造(20歳代後半)のイメージが強烈みたい。しきりと貫禄がついてびっくりしたと述べられる。

ボクはボクで、仕事に厳しく聡明な上司であったが、やはり年齢相応に丸くなられて、奥さんから時々叱られる小話などを聞かされて少し寂しいような心が温まるような気持ちになる。若い時の恩を忘れずに付き合いさせてもらったのはボクの方であるが、仲人さんからは、いつまでも忘れずにいたことがとてもうれしかったみたいである。帰路は西戸崎駅まで見送りをさせてもらって深々とお礼を言った。何となく心も温かくなった。

ブログを書いていたら、他にも次々と浮かんでくる。前の職場、その前の職場、その前の前の職場…・。気の合う後輩は必ず一人や二人いた。するとこっちがそう思うと、向こうもそう思ってくれてるのかな。いろんな品々、夫婦で使うコーヒーカップ、ペアビアグラス、夫婦箸、心のこもったメッセージ花束、創作写真集…。とても気持ちが手に取るようにわかった。

そんな3月、4月であったから、今は、心も財布も温かい。これからも、いつまでも温かい、暖かい自分でありたい。
by hyocori-hyoutan | 2013-05-02 01:26 | わが半生記
10日以上もブログを休憩していた。退職前の雑用に追われて毎日大変忙しかった。今年は3月30、31日が土日のため、いつもより2日早い3/29(金)が24年度の最終日になった。何たって37年間勤めた職場であり感無量のものがある。誰でもが勤め通せるみたいでも、健康上の問題での中途退職、あるいはこの日まで命さえもつなぎ続けることができなかった者もいた。そのもの達の思いをしっかりと受け止めて退職の日を迎えていたい。

最終日には当然退職の挨拶がある。あっちで挨拶、こっちで挨拶と続く。挨拶の中では、ボクはその思い(この日を迎えることなくリタイヤした仲間の事)を伝えた。そして、自分はその日を迎えることができたことに感謝の意を表明した。誰に感謝?もちろん元気に生んでくれた両親、職場の仲間、家族などへの感謝は当たり前。ボクが感謝したかったのは、それを超えたものへの感謝であり、しいて言えば神への感謝だ。

そのことを言えば、他の退職者の挨拶と比べたら異質であった。他の退職者は仕事が中心の話題あり、ここまで来たのは職場の人間のお蔭、あるいはここまで業務を改善したみたいな話題が多かった。ボクは、そのことに全く触れずに、心のままに人間として定年退職できたことへの感謝の気持ちを伝えかっただけである。

20歳代から60歳まで同一職場(会社)で勤め上げれば、もう仕事の成果は誰でも知っている。退職者はみんな、仕事をこなしてきたのは当たり前、そのことを超えて何を感じたかを後輩に伝えるべきだと思う。そのことができて、ボクは幸せな気持ちになった。
by hyocori-hyoutan | 2013-03-30 22:02 | わが半生記
志賀島国民休暇村で一泊した翌日は、帰り道の「海の中道海浜公園」に立ち寄る。今は31歳の長男も子どもの時にはよく遊びに来た思い出の地だ。当時は遊具といえば、フィールドアスレチックの海賊船だけであったが、今は観覧車その他の愉快な遊び物を増えてきた。そして今は孫と戯れる。月日の流れの早さを感じる。
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観覧車に乗って眺めると、園内はもちろん松林の向こうには荒々しい玄界灘も目に入る。仲良しになった孫達(つまり従兄弟同士)も大はしゃぎである。
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これから先ごろのチューリップも色とりどりの花を咲かせている。
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今回の還暦パーティは嬉しいハプニングであった。親子や家族の間では「あうん」の呼吸で言葉を使わずに心と心が通いあう…と思いがちであるが、実は気持ちを行動で表すことで新しい発見に出会うこともある、そのことを今回再確認した。人生なんて無意識の連続で脈々と流れていくが、そのポイント、ポイントで意識できること(思い出として残ること)が、その人生を価値あるものにしていると思った。
by hyocori-hyoutan | 2013-03-18 22:43 | わが半生記
本当にサプライズの土曜日だった。オクさんに誘われて「志賀島国民休暇村」に泊まりに行った。その目的は誕生日お祝い。しかも還暦のお祝いだから休暇村に泊まりに行こう…というだけしか知らされていなかった。何の気なしに運転をして休暇村へ。そしてチェックインもせずに2階の宴会場に向かう。どうして荷物ぐらいは部屋に置いて食事に行かないのかなと思った。しかし、部屋の中を開けたら、びっくりびっくりである。
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子供たち3人が勢ぞろい、大阪在住の息子夫婦も顔を出していた。それにオクさんのおじいちゃん、おばあちゃんもそろっている。孫たちもである。総勢11人のお祝い会になった。赤の還暦祝いのちゃんちゃんこも着せてもらった。本当にびっくりだ。オクさんからの高そうな財布、子供たちからはワコールのタイツに赤のロングレーシングシャツのプレゼントもいただいた。

いつもなら多弁で挨拶をするボクだが、なぜかちょっとの恥ずかしさから控えめな挨拶になってしまった。
「いや、びっくりしたよ。まさかみんなが揃って祝ってくれるなんて。〇〇、わざわざ大阪から来てくれたのか。
こんなサプライズは生まれて初めてだよ。本当にありがとう。」

妙に冷静に挨拶をしてしまった。もちろんその後の飲み会も楽しく、ちょっと感激の場面もあった。長男が初めて中高校生の頃の心境を語ってくれた。長男にとっては親の期待がプレッシャーになっていたことを話してくれた。それに期待に添えなくてゴメンねとまで言った。ボクはボクで、期待はしていたけど子供からゴメンということはない。立派に成長をしてくれてありがとう…と応えるのが精いっぱいであった。自分も一生懸命に子育てをしてきたが、それは当たり前でやっただけという心境だ。3人の子供がきちんと成長してくれて感謝である。
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あっ、それとオクさんからのプレゼントにはメッセージカードも添えてあった。カードの表面のことばも嬉しいが、メッセージ本文はその裏に書いてあった。とても感激した…これからの長い人生もいつまでも一緒に歩きたいものだ。一つひとつの言葉を噛み締めながら、いつまでもボクの心の中にしまっておこう。
by hyocori-hyoutan | 2013-03-17 20:57 | わが半生記
退職日まであと少し。飲み会も多くなってきた。その一番目の送別会((あるいは激励会,慰労会…)があった。勤務したのは昭和62年から平成3年までの職場OB会。いまから20年前の仲間たちである。もう現役を退いた先輩も多数いり。ボクもその仲間入りである。
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ある面では黄金期の職場であった。バブル時期であり、新規事業を毎年必ず企画実施していた。イベントをして打ち上げで痛快に酒を飲み干すのが恒例であった。だからそのメンバーとの一年に一回の飲み会での話は盛り上がる。今年は自分の退職記念を兼ねていたので、大いに楽しみ愉快に過ごすことができた。いい時代にいい仲間に会えて本当に良かったと思う。
by hyocori-hyoutan | 2013-03-15 23:57 | わが半生記
退職日まであと2週間になった。昨日から職場のパソコンの大掃除。別に雑巾で磨いているわけじゃない。データーの整理である。バラバラになっていたデーターを新規フォルダを作ってまとめて収納していく。未完成のままのデーターやボツデーターは削除していく。どんな貴重なデーターも見つけることができなかったら、宝のもち腐れ。自分の作ったデーターでもそうなんだから、まして後任者に引き継ぐにはちゃんとわかるようにしておかなければ…。

この作業は結構時間を費やす。いつもきちんと整理しておけば、もっと仕事の効率が上がったのに…と思うのはまさしく後の祭り。このパソコンの整理が終われば引き継ぎ書の作成に移る。この作業も先週に7割くらいは完成をしていたのであと少しだ。懸案事項や未処理事項を書こうかなあと思うが、あまり一杯懸案事項を残しても大変だろう。徐々にわかる範囲で仕事をしてもらおう。

思えば、今の職場は1年だけだったが、もともと37年間の〇〇生活のうち21年もこの分野の業務に打ち込んできた。それなりに改革を行ってきた。他の人間よりは前向きに仕事をしたことには自信を持っている。それでも、なかなか自分の思う通りにはできなかった。自分の考えを理解できる仲間、部下がいればすごく前進をする。1+1が2ではなく4にも5にもなる。その巡り合った時期は楽しいが、巡り合わなかった時期(職場)は空しい。

さて、いろんな思いが走馬灯のようにめぐってくる。日々貴重な時間である。机も整理、心も整理、新しい生活にチャレンジするだけの心の余裕も築いていこう。そうそう4月以降の新しい職場も決まった。嘱託員としての勤務だ。場所は自然環境に恵まれたところだ。何となく楽しくなった。
by hyocori-hyoutan | 2013-03-15 01:43 | わが半生記
時期的なものでしょうが、定年退職関連のブログが増えている。気持ちもそのことを考えているからでしょうか。本日(1/15)は終日、退職者説明会に出席した。もらえる年金額、退職時の諸手続き、今後の健康保険の加入先、JICA活動(シニア海外派遣)、資産形成運用…などなどである。夫婦参加も可であったが、ボクは単身での出席であった。

年金は今年が60歳からもらえる最後の年齢だ。次年度からは61歳、そして2年おきに1歳づつ繰り下げられて、今の52歳くらいの人からは65歳が支給開始年になるみたい。何が幸運かはわからないが、とりあえずラッキーとしておこう。ボクもとりあえず65歳くらいまでは働くつもり。本当はのんびりしたが背に腹は代えられない。

記念講演は、大阪から中川政雄氏「これからの人生~人生は二毛作セミナー」であった。これは面白かった。さすが、大阪の河内出身で漫才ザ・ぼんちで弟子入りをしたこともある元金融マンである。話にメリハリ、間をもたせ、次に何をしゃべるのか期待感を抱かせる。約400人の聴衆は誰も居眠りはしない。参考になる話し方であった。

先ほど述べた年金生活を謳歌しようと第2の人生に入った人…ゴルフを趣味に頑張る、朝から釣りに行くぞ!と意気込んでいた年金生活1年生も多いが、すぐに飽きてしまう。理由は簡単…本業あっての趣味、忙しい仕事の合間での趣味は楽しいが、24時間自由になったらその趣味も楽しくなくなる。欠けている「本業」にとって替わるものは探さなければいけない。それは「社会貢献」だという。たとえば絵が趣味ならば、絵を中心としたサークルを立ち上げ、一緒に展示会を開くなど。常に社会との接点、社会に貢献するものがないと生きがいは生まれないという。

ボクもランニングが趣味といっても一日中走ってもいられない。仲間を求めて走らないとこれからは長続きはしないかも。どっちかというとマイペースで行動するのが好きといいても考えなおさなきゃ。また、最近は熱が冷めている自治会活動も定年を期にやめるのではなく、もう一度取り組んでみよう。

また、いろんな話の中で気に留めたのは「定年をきっかけに捨てるものは3つ…肩書き、収入、プライドの3つ」
〇いつまでも現役の肩書きの役職(部長、専務)にしがみついたらダメ、これからは名前で勝負
〇収入が減るのは当たり前、身に会った生活リズムを
〇俺が何でこんな仕事を?、地域清掃、家庭内の掃除皿洗いなどもプライドを捨てて

人生は80年、もう60歳まで生きた人は男で4人に1人は90歳まで生きられる。女性では2人に1人が90歳まで生きられる。いや生きなければならない。そのことを考えれば、60歳までの現役時代とは違う生き方、人生をやり直すのではなく、新しいものに取り組む方がどれだけ楽しいかわからない。人生二毛作の時代…さてボクは次の作物は何を植えて育てようか?
by hyocori-hyoutan | 2013-01-15 22:24 | わが半生記
武田鉄也の「贈る言葉」の秘話がインターネットMSNニュースに掲載されていた…贈る言葉は失恋ソングであるとのこと。確かに歌詞を口ずさんでみれば失恋ソング、でも失恋の情感を卒業式という場を借りてオブラートに包んだように淡いメロディーが歌詞の意味するものを抽象化して、悲しさや苦しさを美しい思い出に昇華しているように感じた。

武田のコメント…別れを告げられた「その人が去っていく後ろ姿をじっと見つめた。何十年かたつと、みじめな思い出が美しい歌詞になっていました。人生とは、そういう味わい深い物語であります」というのが作詞の原点だったみたいだ。

武田とボクとは同郷であり、武田が5歳くらい上かな。だから時代背景はなんとなくわかる。モテない自分との共通点もある。愛の告白をして振られて、未練がましく立ち去る彼女を見送る。もしかして振り返ってくれたらすぐに走って行こう。そんな思いも叶わず彼女は足を速めてその場を立ち去る。そんな自分を慰めるために繰り返し頭の中で唱える。みじめな気持にならないで前を向こう。悲しむなよ、相手が幸せをつかめばいいんだから。俺には俺の道がある。幸せを掴めと贈ってやればいい。痩せ我慢だけどそんなことを考えていた自分がいた。

♪♪光と影の中 去り行くあなたへ 贈る言葉 …悲しみこらえて ほほえむよりも 涙かれるまで 泣くほうがいい 人は悲しみが 多いほど 人には優しく できるのだから~♪ さよならだけでは さびしすぎるから 愛するあなたへ 贈る言葉~♪ ♪

もう一つの武田の思い出。ボクの大学2年生頃、場末の学生相手の居酒屋、熊本上通りの「正六」でクラブのみんなと飲んでいた。そこに流れてきた歌が「母に捧げるバラード」であった。こら鉄也!なんばしょうとな、はよ、学校にいってこんか…
歌の中の語りが懐かしい「博多弁」に気持ちが揺さぶられる。そして、親元を離れて大学生活を謳歌しているように思える我が身でも将来への不安は隠し切れない。その不安さを母の言葉で語られると一層さみしくなる。もう40年前のことであるが鮮明に覚えている。

一人わびしい下宿、自分の将来と結びつかない授業、苦しさばかりで直向きさを理解できない部活、結局は自分一人で悶々としていた学生時代、そんな時代で聴いた「母に捧げるバラード」は今も忘れられない。
by hyocori-hyoutan | 2013-01-11 23:38 | わが半生記

マラソン雑学は一流、記録は二流、そしてランニングフォームは自己流の三流、しかし、マラソンと人生を結びつける哲学は特級です。飲む時は年を忘れて、酒なら何でも来い!飲んだ分だけ走らゃいいと思っています。


by hyocori-hyoutan