ひょっこりひょうたんの日誌

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カテゴリ:My偉人伝( 11 )

大学時代の恩師、小谷先生の退官祝賀同窓会に行って来た。大学を卒業して32年が経過しようとしているが、恩師への感謝の気持ちは増すばかりである。卒論指導では、どういうテーマの卒業論文を書いていいのか、まったく八方ふさがりのボクに、「縄文晩期の……土器の変遷」と言うテーマを頂き、大学の収蔵庫にあった土器の計測から始めなさい……と懇切丁寧に指導してもらった。
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もう、その卒論の中味は大方忘れてしまったが、「文章に重複する表現は避けなさい」、「自分の意見か人の意見なのか明確にしなさい」、「参考文献はきちんと整理しなさい」……のような初歩的な指導はして頂いたことは何故か覚えている。その教えは、今の自分の中にも脈々と生かされている。大学2年~4年のたった3年間ではあったが貴重な体験であった。

全てに無関心で、将来の目的もなく熊本大学に進んだボクであったが、先生の考え方や人間としての包容力の大きさに触れるだけでも、大きな刺激であった。ボクにはとても到達できない知識力や包容力は憧れであった。そして、ダメ学生にも優しく接してくれたことは、ボクにとっては救いであったし、その優しさを自分も会得しようと今も努力している。

最初は、重要文化財の赤レンガの階段教室での記念講演をしていただいた。久しぶりだ、大学で講演を聴くのは……。もっと真面目に勉強していたら、違った自分になっていただろうと、少しばかりの後悔が頭の中を走り回る。
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夜は、熊本市新町の「松葉旅館」での祝賀同窓会である。第一期生から第五期生までの20有余名参加であった。ボクは唯一の夫婦での参加である。何故か、自分の同窓会に妻を同伴させるのは好きである。だって、このような素晴らしい先生や同窓生との出会いがあって、今のボクがあることを妻に知ってもらうことは貴重だと思うからである。そんな妻も小谷先生の話を聴いて、「考古学の先生って、みんな自分の研究の世界を持ってあるし、世俗的でないのが素晴らしい」……そんなことを言っていた。
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小谷先生との貴重な出会いによって得られた教えを、これからの自分の生き方に反映していきたい。
by hyocori-hyoutan | 2007-05-13 23:40 | My偉人伝
ランナーズ6月号を開いて、目次を見ていたら「てるえさんへの手紙~今度はぼくがサポーターです」という、高石ともやさんの連載が始まっていた。早速、目を通す。

高石ともやさんと言えば、「受験生ブルース」である。ボクが中学3年生の時の大ヒット曲である。電気コタツに脚を突っ込み、高校受験勉強をしていた時に、ラジオから流れたメロディーと歌詞が、わが身の上と照らし合わせて共感した。

"♪おいで皆さん 聞いとくれ 僕は悲しい 受験生 砂をかむような あじけない 僕の話を 聞いとくれ……♪"

そして時代が流れて、ボクにとってはフォークソングよりも、ランナー「高石ともや」に憧れみたいなものを感じていた。歌手でありながら、別大マラソンにチャレンジして2時間45分で走り、日本初のトライアスロン、第一回皆生トライアスロンでも優勝した。しわくちゃだらけの顔から発散する顔一杯の笑顔、走るランナーだからこそできるランナーへのメッセージが歌に乗って運ばれてくる。
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彼に出来るなら、彼より若いボクにも出来ると思い、別大マラソンも追いかけた。トライアスロンにも挑戦をした。そして、彼が達成したアメリカ大陸横断レースまでは出来ないが、日本一周くらいはノンビリランでやってみたい気持ちもある。

そんな彼を支えたのが、奥さんの「てるえ」さんだとエッセーの中で書いてあった。その「てるえ」さんも昨年9月に大腸がんを患い、手術をして現在も抗がん剤等の治療をしている。これまで彼のランニング人生、歌手生活をサポートしたのが「てるえ」さんであり、彼は、今までの感謝の気持ちから立場を代えて、「てるえ」さんの復活へのサポートに専念している。ランニングを「てるえ」さんとのウォーキングに代えて毎日行っているという。今までにない人生の充実をウォーキング中の会話に感じているという。

高石ともやさんは、17年前の第一回阿蘇カルデラスーパーマラソンの時のゲストランナーだった。ボクがリタイアした時だったが、60km過ぎに、彼は手を挙げて、「がんばれよ」と声を掛けて、笑顔を残して過ぎ去っていった。「てるえ」さんとは、サロマに行った時に、ゴール後のミニコンサートが体育館であった時に、ボクが担当していたマラソン大会に招待選手として来てくれないか交渉をした思い出がある。ただ、それだけに過ぎないが、ボクにとっては身近に感じる大きな思い出だ。

人生なんて、いつまでも健康のままには過ごせない。でも、高石ともやさんと奥さんは、いつまでも走るランナーとそのサポーターであり続ける気がしていたからショックである。早く元の健康な体を取り戻すことを祈るばかりである。

走ることは、健康、家族、仕事の三本柱が充実していないと出来ないことである。今、高石ともやさんは「てるえ」さんとのウォーキングに人生の充実を感じているというが、この三本柱が復活すれば、必ず走り始める。永遠に走り続けることができないから、走ることのありがたさを感じることが出来るものである。そのことを教えてくれた、高石ともやさんに感謝である。
by hyocori-hyoutan | 2007-05-08 23:31 | My偉人伝
今日のエアロ50のイントラは、junちゃんである。このjunちゃんのエアロビクスに出るようになって、もう足掛け10年になる。当然のごとく、こっちは10歳年をとってしまった。junちゃんも10歳年をとったのでしょうが、相変わらず可愛い。特に最近はすっかりスリムになってしまった。昔のように、ふっくらの方がいいかもしれないが、今のスリムもいいものだ。
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年を重ねたにもかかわらず、ボクのjunちゃんエアロの場所とりは、最前列のイントラの左の好位置を占用している。興に乗ってくれば勝手に回転したり、集中力のないときは間違ってばかりであるが、雰囲気として今の場所を許してくれている、junちゃんや他の会員さんに感謝感激である。

今日は何故か、左側(ルート3号線側)がすっぽり空いていた。その中にボクがポツンといる感じであった。「今日は、○○さん目立ってますね!」でエアロが始まった。○○さんとはボクの愛称みたいになっているから、分かる人は分かり、分からない人は分からない……。前列、2列目は常連ばかり、だからウォーミングアップから誰も間違わずに淡々と進む。3つのコンビネーションの通しになると盛り上がり、掛け声(ボク一人ですが)も飛び交ってくる。Vステップ、ターンAステップの時に、手拍子チョンチョンを入れたら好評で取り入れてくれた。

50分のうち45分は動き回り、残り5分はいつもの腹筋の補強トレーニングである。ボク自身、最近力を入れている下腹部の腹筋を意識して取り組む。意識か無意識かによって、その成果には大きな違いが出てくる。今日も50分のjunちゃんエアロありがとう!

そんなjunちゃんも最近は、ヨガに凝っているという。心配ごとはjunちゃんがヨガレッスンに集中することと寿エアロ卒業であるが、結婚しても、いつまでも、エアロビクスを楽しませてください。

(junちゃんも、このブログを時々見ているらしい、よろしくね!)
by hyocori-hyoutan | 2007-04-26 23:27 | My偉人伝
10年前にK小学校のPTA会長をしていた。その時の初代校長が大田校長であった。小生は2代目のPTA会長であった。大田校長は、信念持った人であり、教職員にたいしても毅然とした態度をとっていた。また、人に対しても厳しいばかりでなく自分に対しても厳しかった。

その一例として、校長室で雑談をしている時であった。

「校長、校長室はいつも開けているのですか?」
「そうだね、教職員が入りやすいように、いつも戸を開けているよ。それに、校長室の中が見えるように、衝立も置いてないよ。」

そうとおりであり、校長室は透明のガラスも使用しており、廊下から見ると校長の机も丸見えの状態であった。校長は、常にプレッシャーを自分に与えるためにオープンな状態、相手が責めやすい状態を作っていたと思う。逃げも隠れもしないという自分への厳しさの顕れの一端である。しかし、人一倍の気配りもあった、必ず来客者には、玄関口まで見送りをされていた。

そんな生きざまの人間は、いつまでも人に信頼されている。その表れが、退職後も同じK校区の公民館長として迎い入れられた。そして、退職後10年を経過しているにも関わらず、古希のお祝いには、当時の教職員やPTA役員が大勢参加してくれた。出来るようで出来ないことですね。
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人生、自分の信念を貫くとともに周りへの気配りをしていけば、多くの人から「古希の祝い」をしてもらえるものですね。これからの自分の残りの人生を考える上で見習いたいと思う。そんな校長から指名されて、地域の自治活動のまとめ役を仰せつかっている。幸せなことである。

ところで、校長室のガラス戸の件では後日談がある。大田校長が離任されて数ヵ月後には、校長室のガラス戸は半透明のすりガラスになり衝立も置かれるようになった。新しい校長室の主の指示によるものだが……
by hyocori-hyoutan | 2006-10-29 22:42 | My偉人伝
長く温めていた「ランナーズ下条編集長との出会い」をマイHPに書き下ろした。

HPの自己紹介の欄でも記載したとおり、自分にとっての雑誌「ランナーズ」はバイブルであり、心のよりどころである。その編集長と会ったのは18年前のことであった。初めてでありながら、博多の屋台で12時過ぎまで飲み明かし、ランニングについての熱い思いを語った。その時約束した、フルマラソン2時間40分きりはとうとう実現しないままであったが、マラソンにかける思いは、今日まで持ち続けることができた。

【写真は18年前の座談会にて】c0070439_1472287.jpg
誰も発行することなど、思いをしなかった市民向けのランニング雑誌、一番初めは、青梅マラソン会場で出かけて、ランナーに直接販売をしたことから始まったと聞いた。その後も、数多くの同様な大手出版社の雑誌が出てきても、ランナーズは勝ち続け、他の雑誌は撤退をしていった。

そのことは、ランナーズの雑誌に脈々と流れる、「スポーツは文化」というポリシーが、多くの読者を今日まで引き付けて来たのであろう。誰でもがスポーツを愛し、ランニングを愛することは出来る。遅い速いにかかわらず……。そんなメッセージを発信していると自分は思い続けてきた。

そして、その中心となる下条編集長の純粋なまでのランニングへの情熱と優しさに触れることができたこと、それも若いうち触れたことが、今の自分の考えの柱になっているような気がする。

先日の荒川市民マラソンの時に久しぶりに下条編集長の元気な姿を拝見した。1万人以上のランナーを拍手で激励しておられる姿に、走る勇気をもらった。今からが本当のマラソンの楽しみが出来るのだ、スポーツは文化だから年齢に関係なく楽しめるもの……。

また、機会があればマラソン談義をしたいと思う、今日この頃である。
by hyocori-hyoutan | 2006-05-20 23:24 | My偉人伝
先月の3月21日(火)の春分の日に熊本に行った。東京の荒川マラソンから福岡に帰った来た翌日である。熊本に行った目的は、大学の恩師の白木原先生の喜寿のお祝いであった。集まってきた教え子は約60人くらいであった。小生は第一期生であり、7人の同窓生がいたが出席したのは4人であった。卒業してからも何年かに一回は会っているから、久しぶりといっても、それ程の違和感は無い。(写真は宝島での発掘現場での集合写真)
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白木原先生は、小生が大学4年の時に赴任して来られた教授であり、学問だけでなく就職相談等にもお世話をしていただいた。勉強熱心とは言えなかった小生に対しても、親身になってお世話をしていただいた。思い出としては、小生が大学3年生の時の鹿児島県トカラ列島の宝島発掘調査がある。しかし、発掘調査よりも民宿で毎晩酒をのんで騒いだり、船中で船酔いしたことばかり覚えている小生であった。もちろん、周りの学生は優秀であったことは言っておかないと大事である。c0070439_1385633.jpg

先生は、学問についての深い知識がない我々に対しても、優しく接していただいた。しかしながら、学生として考古学についてのいろんな質問さえも出来なかったことは、今考えても残念だと思っている。

そして、卒業して4年後には、結婚式の主賓として挨拶をしていただいた。そのことは、今もはっきり覚えている。
(写真は喜寿の祝い会での先生の近況報告)

『結婚というのは、二人が夫婦として一緒に生活していくことであり、それだけでは多くの人が、このように集まって祝ってやることは必要はない。多くの人が集まって祝う意味を考えて欲しい。結婚式というのは、この社会に対して、夫婦二人が責任を持って行動をすることを多くの人の前で宣言することであって、ここに集まりの皆さんは、その証人になっているのです。』

c0070439_1402481.jpg26年以上前のことであるが、この言葉を聴いて身の引き締まる思いをしたことをはっきり覚えている。人間、一人では生きていけない。周りの人の手助けが必要な場合もある。逆に、自分あるいは夫婦として周りの人を助けてやる場合もある。それが、夫婦として社会に対して責任を持つことであろう。
(左の写真は喜寿の祝い会会場)

しかし、社会人になり考古学を離れてしまうと先生との接点がないままに、今日まで来てしまった。でも、いつも機会があることに先生から声を掛けていただく事ばかりであり、ありがたいと思う反面、日頃の無作法を申し訳ないと思うばかりである。

c0070439_1465341.jpgそして、今回も喜寿の祝い会の時も、先生から先に席を立って近況を聴きに来られた。そして、先生から喜寿の祝い会のお礼の直筆の礼状と、やはり直筆に近況報告冊子が送られてきた。
先生はリュウマチを患っておられ、字を書くのにも大変苦労されているのにである。重ね重ねありがたいことである。

先生が現在、「晴耕雨読」的な生活を楽しまれている近況報告を拝読させていただき、まだまだ、世の雑念に囚われた自分の生活を反省させられることばかりです。先生の教え子を大切にされる優しさと、何事にも囚われない仙人みたいな生活に敬意を表します。

これからも、末永くお元気でお暮らしください。近いうちに、是非先生の自宅まで「文蔵」四合瓶を持参して掛け参じたいと思いました。
by hyocori-hyoutan | 2006-04-20 23:45 | My偉人伝
昨晩は思いもよらない通夜に参列した。享年49歳の「ぎいち」君である。彼と知り合ったのは、今から25年前くらいであった。課は違うものの同じ建物の中で5年ほど一緒に働いた。もちろん、課が違うから仕事を一緒にしたという感覚はない。唯一の接点はランニングであった。彼は速かった、フルマラソンは2時間30分ちょっと、大濠公園(1.95km)も6分を切るスピードの持ち主であった。当時の職場対抗駅伝大会では、不動の1区選手であり、約100チーム参加の中でも区間賞の常連であった。

当時、昼休みのランニングが盛んな時期であり、いつも一緒に昼休みに走った。短い時間に走るのだから、当然スピードは上がる。妙見から箱崎駅までの折り返し(往復2.3kmくらい)がいつも競争、ビルドアップ走になった。彼は、負けん気が強かった。練習中でも他の選手の後ろにつくことはなかった、身長180cm近くの長身で華麗なフォームでいつも駆け抜けていた。

でも、いつも柔和な笑顔の絶えない好青年であった。あるとき、当時半ドンであった土曜日の午後、県庁周りの東公園で黙々と走っている彼を見かけたことがある。

小生: 今日は頑張っているね。何周走るの?
彼 : 防府に出るため最後の調整です。多分30kmくらいです。

一周764mの周回コースを40周である。一週間後の防府に向けて一人で黙々と走っていた。また、ちょうど20年前に唐津10マイルレースを一緒に走ったこともあった。実力差は歴然としていたが、たまたま彼が調子悪く、小生が調子のいい時で、4kmから13kmまで併走した事がある。併走するといっても、小生が一歩前に出ると反射的に彼は一歩前にでた。本当に負けず嫌いの真骨頂である。最後は実力差のとおり、100mくらい小生が負けたが、ゴールー後には……

小生: ありがとう!途中まで引っ張ってもらったから自己新記録がでたよ!
彼 : 良かったですね。いいリズムで走られていましたよ。

彼は、いつも笑顔で明るく話していた。そんな彼とも、酒を飲んだ記憶もない。その後の20年は職場も違って顔を合わす機会も稀であった。一年に一度の職場の駅伝大会くらいであった。その駅伝大会等も、彼はずっと走っておらずランニングを一時中断していたみたいだった。でも今年の駅伝大会で大濠公園7分10秒くらいで走っている記録を見たとき、彼も復活してきたんだ……と喜んでいた矢先の出来事であった。

通夜会場に掲げられていた遺影は、彼の人柄をそのまま表現している顔一杯の笑顔である。あまりにも突然の死、理不尽な運命と思うものの現実を受け入れるしかない。残された奥様や子どもさんかたの心中を思うとつらいものである。

彼は、僕の心の中ではスーパースターであった。これからも笑顔の素敵な永遠のスーパースターとして生き続けるだろう。        合掌
by hyocori-hyoutan | 2006-01-24 20:46 | My偉人伝
昨晩は久しぶりに飲みすぎた。ピッチが速すぎた。やはり二人で飲むとペースが速くなり酔っ払いますね。飲んだ相手は、OITA大学のtaniguchi先生、6年前くらいにF市体育協会で一緒に働いた仲間で、専門はスポーツ社会学である。彼にとっては、職も決まらず苦労をしていた時期であった。しかし、その後も初志貫徹して、いまでは大学の助教授として活躍をしている。たった半年間の付き合いであったが、何故か思い出深い、中身の濃い付き合いとなっていた。

彼が来て1ヵ月後に総合スポーツ大会を彼と一緒に担当した。人間と言うのは、デスクワークと違って、外でのイベントを実施すれば、その人の人間性というものが、よく見えてくる。

「taniguchi君、フィールドの中の動きは任せた!一応計画案を渡すけど、後は任せるよ……」それだけで、彼はよく動いた。自分のエリアはもちろん、全体の進行の把握しながら、穴の生じないように行動をする。危機管理がしっかりしているから、動きに無駄がなく、私の片腕として役割を十分にこなした。

その夜の打ち上げの二次会では、馬出の餃子の旭軒で痛飲して二人とも酔っ払ってしまった。JR吉塚駅で鹿児島線の上り下り、それぞれ別れたが、私は香椎で降りるところを、ひとつ乗り越し九州産業大学前まで行ったし、彼は、南福岡で降りるところを、なんと熊本まで熟睡してしまった。

いろんな思い出があるが、何たって、わかりやすい言葉で、スポーツ活動を文化の領域まで高めて行こうとする彼の熱意に敬服する。

”スポーツ活動に上手、下手などで差別したらいけない、スポーツを通して汗を流し、体一杯で充実感を味わう権利は誰にもある。文化活動を社会全体で守っていこうとするのと同じようにスポーツ活動も社会の財産なんだ。”

そんなことをよく話したもんだ。これからも多くのスポーツを愛する学生を生み出し、スポーツのある社会づくりに貢献をしてもらいたい。今後の彼の活躍は競馬で言えば◎だよ。
by hyocori-hyoutan | 2005-04-19 07:10 | My偉人伝
2005/3/26(土)
c0070439_1192725.jpg3月25日(金)に、元職場の上司、佐藤氏の退職激励会が開催されました。昭和62年(1987年)から平成3年(1991年)の5年間でありましたが、様々な仕事に出会い、様々な経験をさせていただきました。私自身、年齢とすれば33歳から38歳の頃であり、吸収力の旺盛な時期だったかも知れません。
その一例として、昭和62年度に、ある事業のガイドブックQ&A集を作ることになりました。丁度職場にワープロが普及し始めの時期であり、一生懸命習いたてのワープロでA5版サイズの12ページくらいの下書きを作り、佐藤氏に見てもらいました。

「○○君、文字数を半分にしてくれないか。そのほうが見やすいだろうから……」

c0070439_120126.jpg私とすれば、“自分が主張したいことを全部いれたので、これ以上の割愛は無理だ!”と思いましたが、とりあえず、業務命令だから仕方なく実施しました。
すると、見えてくるのです。その作業の途中で大事なものが……。
要約することによって、訴えようとするエキスが抽出されるとともに、無駄な文章が消えてしまったのです。じゃあ、消えたものは何処にいったかというと、自分の頭の中の情報箱に入っていったのです。
「急がば廻れ!」という諺があるように、最初から要約したものには、深みはありません。あらゆるものを網羅したものから、絞り込むことによって、全体が見え、その事業の熟達者になることが出来ます。
そのような意味で、「文字数を半分にしろ!」と言ってくれた事に今も感謝をしています。

上記に事は、ほんの一例であります。佐藤氏の“全てのことに余裕をもって遊び心で”という姿勢は、今も、私の行動パターンの中に染み込んでいます。ありがとうございました。

写真は、激励会の様子と昔なつかしい小笠掛川マラソンに一緒に行ったときの写真です。
by hyocori-hyoutan | 2005-03-26 23:12 | My偉人伝
2005/3/23(水)
9年くらい前だったでしょうか、yamanoさんに会ったのは……。
場所はセントラルフィットネスクラブ箱崎のスタジオで、長い髪のインストラクターでした。丁度産休から復帰されたすぐで、エアロの最後列で復帰に向けてトレーニングされていたことが懐かしく思い出されます。
そして、新規オープンしたばかりのルネサンススポークラブ福岡香椎でも活躍されました。
汗をかくには、一番はyamanoインストラクターのエアロ、2番、3番がなくて4番にサウナ、5番目に大きな失敗の冷や汗……といった具合でした。エアロビクスの途中までは通常の汗であっても、最後のハイインパクトからクーリングダウンを兼ねたストレッチの時間で、何故か、あっという間にフロア-には汗の水たまりができました。
c0070439_0571022.jpgエアロビクスの途中には……
「声を出して」
「もっと大きく動いて」
「この運動は、日頃使わない腸腰筋を使う運動ですよ」
「意識するのと意識しないのでは効果は全然違うのよ」
と、さまざまなアドバイスもしてくれます。
そんな、何事にも積極的なyamanoさんですが、めちゃくちゃ真面目な面もあります。yamanoさんがシティマラソンの沿道警備をNASの近くで従事しているとき……こっちはランナーで走っていましたが、周りの応援は誰もいないから、車道の方をみて応援すればいいものを、マニュアルの通り、ランナーを背にして立っています。後ろを向くと親から怒られるといったc0070439_0573158.jpg不安そうな目で目立たないように首だけ選手の方をみて応援されていました。でも、そんな真面目さがあってこそ、全てのルネ会員に満足できるようなプログラムを提供できるのかなとも思います。
今は、プログラムの関係でボディシェィプを受けるだけですが、時間があればまたエアロビクスを受けたいと思っています。老若男女に愛され親しまれているyamanoさんの笑顔が、これからも多くのスポーツ好きの人をもっと好きになるような導いてくれることでしょう。これからもよろしく!

※My偉人伝とは、これまでの自分の人生でお世話になった方や素晴らしいなあ……と感じた方を自分なりの表現で感謝の気持ちを表して残していきたいと思います。

【追伸】それでも、Yamanoさんのエアロの中で苦手もあります。それは、参加者をスタジオの右と左の二つに分け、対面形式でするエアロビクス……対面する人につられ、つい同じ動きをしてしまいます。きちんとマスターしていなければ、動けませんでした。難しいから、達成できたときの喜びも大きかったです。
最近はあまり取り入れられていないのかな。苦手だけれども、もう一回取り入れて欲しいな……
右上の写真はクリスマス仮装エアロの時の写真です。いつもこんな格好じゃありません、念のために……
by hyocori-hyoutan | 2005-03-23 23:44 | マイ偉人伝

マラソン雑学は一流、記録は二流、そしてランニングフォームは自己流の三流、しかし、マラソンと人生を結びつける哲学は特級です。飲む時は年を忘れて、酒なら何でも来い!飲んだ分だけ走らゃいいと思っています。


by hyocori-hyoutan