孫娘誕生 ほっと安心 母子健康 

無事に2人目の孫が生まれた!!

出産で里帰りしていた娘は予定日を迎えていた。そして何事もなく過ぎようとした夜の11時過ぎから陣痛の気配が生じてきた。結局眠らずに朝方4時まで我慢をして、それから親であるボクたちを起こしに来た。病院に連絡をしてオクさんが…、娘が…症状を病院側に伝える。電話を切ったあとは、車で15分のレディースクリニックに直行する。幸いにも週末であったため、娘婿も同行することもできる。

3分間隔の陣痛、周期的に襲ってくる。陣痛の痛みを和らげるためにオクさん、娘婿が交替で背中を擦ってやる。ボクはじっと見守るばかりだ。実は陣痛の苦しさを見るのは初めてだ。子どもは3人いるが、一番上の長男のときは、オクさんは里帰り出産で陣痛に立ち会うことは出来ず。そのあとの長女、次女ともに里帰りせず我が家にいたが、陣痛がでて産婦人科に連れて行くだけだった。当時は、夫が出産に立ち会うということはなかった。だから、病院の通路横のソファーで待機していたら…
「まだまだ、時間がかかりますから、生まれましたら家に連絡しますから、家で待機していてください」
「はい、わかりました。家で待機しています」
そう言って自宅で待機して、生まれたとの連絡を受けて病院へ直行した。

時代は移り変わった。出産の立会だけでなく、陣痛の苦しみも共有する時代になっていた。こんなときは男は無能である。オクさんは、娘の気持ちを和らげるように声をかけていく。早朝から昼、そして夕方と状況は変わらない。助産婦さんからは「明日の早朝に出産かもしれない」と告げられる。早く陣痛から解放させてやりたいが、自然の摂理に従うしかない。

状況が変わったのは夜の9時過ぎだ。様子がおかしく看護婦詰め所に行くとすぐに分娩室に入る。娘は不安だから、母親である「オクさん」が横についていて欲しいと言う。母親は強くてたくましいものだ。そして、娘婿とボクは病室で待機だ。夜10時過ぎにはオクさんが待機していた病室に飛んでくる!

「もうすぐ、生まれるよ!」
娘婿も分娩室に入る。ボクは相変わらず病室で一人で待機する。病室のテレビからは、ワールドカップの試合が放映されている。歓声やブブゼラの音がスピーカーから流れてくる。でもその音もボクにとってはBGMみたいに右耳から左耳に流れていく。

そして、11時過ぎには無事に生まれた。母子ともに無事でよかった。出産後はボクも分娩室に横たわる娘と生まれてすぐの孫娘を見つめる。気持ちは昔風に言うと「こんにちは、赤ちゃん…」という感じだ。2926gの赤ちゃんを抱かせてもらう。目もくっきりと開けてくれている。口はもぐもぐと動かしている。しわくちゃな手は生まれてまもない感じ、そして指には薄い透き通るような爪も生えている。頭にはニットの帽子をかぶせ、その帽子には母親の名前もきちんと書かれていた。

そして一息、日付けが変わった午前1時頃には安心して帰宅する。翌朝に行ってみると、何とわが孫(娘)の後には、5分後に一人、朝方3,4時頃に3人の新赤ちゃんも生まれていた。昨晩で5人の赤ちゃん誕生だった。大きな丸いセンターロビー沿いのガラス部屋には、生まれたばかりの5人の赤ちゃんが仲良く並んで気持ちよさそうに寝ていた。

by hyocori-hyoutan | 2010-06-27 23:47 | 家族

HPリニューアルも 出来栄え吟味に 先延ばし

近況報告…。元気に走って仕事をしているが、暇な時間にしているブログ更新はイマひとつというところかな。最近はまっているのは、ホームページビルダーV14である。自分のホームページを閉鎖して、もう4ヶ月も経っている。元データーは持っているから再公開すれば簡単だけれでも、それじゃ気がすまない。ホームページビルダーV14の解説書、それも3000円もする全解説書を手に悪戦苦闘している。とりあえず、はじめから最後まで頑張って目を通している。

ホームページを立ち上げたのは、2005年3月だった。もう5年3ヶ月も経過した。ご無沙汰ばかりで、サイト更新や表作成、そして肝心要のサーバーへの転送など、覚えているようで忘れたいることも多数ありだ。もう一度基礎から勉強をしなおす決意で始めたが、凝り性だしなかなか先に進まない。

フレームを使ったページがいいのか、テンプレートサンプルやスタイルシートを使ったのがいいのか暗中模索だ。そして、結局のところ、サンプルで作ったものは応用力がない。一度こけたらもう立ち直るすべを知らない。やっぱし白紙から作成して、背景色は〇〇、文字色は何々、表やセルの幅はなんなんピクセルと…、自分で把握して入力したほうがいいみたい。原理原則を知らずして物事の先には進めない。ということで、我がホームページ公開まではあと一ヶ月かな…。

by hyocori-hyoutan | 2010-06-22 23:13 | HP&ブログ

心電図 じっと我慢の 24時間

24時間心電図をつけている。先日6ヶ月に一回の検診にいったら、「24時間心電図をとってみましょう」ということになった。心電図異常は仕方ない。24時間心電図は2年前につけたきりだった。あまり付けたくないが、ドクターから言われると仕方なし。

だから、ルネサンスでもトレッドミルランはしたくない。首からぶら下げた小さな心電図測定ボックスが揺れるのは気が散る。だからクロストレーニングマシンで1時間ほど過ごす。脈拍も運動中に測ると93くらいだった。マシンに貼り付けられている「ファットバーンゾーン」は95~110くらいだった。脂肪燃焼を図るには強度をもう少し上げないといけない。一生懸命に漕いで脈拍を上げて、やっと110まで上げることが出来た。

通常は50以下の脈拍だが、どうにか運動中は@100拍くらいになったかな。1分間に100-50=50で、脈拍50アップ、1.5時間続けると50×90分=4500拍アップになる。これを24時間に均すと約2拍/分になる。つまり24時間心電図での24時間の平均脈拍アップには2拍も貢献だ。いつも徐脈で45拍/分くらいだから、プラス2拍はいいことだ。

こんな計算をしながら1.5時間もマシンを漕いでいた。終わっても精密機械を濡らしてはいけないので、シャワーは止めて濡れタオルで体を拭く程度にしておいた。そろそろ、24時間が経過しようとしている。胸に4箇所も脈拍計測のコードがテープで固定されているが、だんだんかゆくなってきた。さあ、病院に行って心電図計測のコードやボックスを取り外してもらおう!

by hyocori-hyoutan | 2010-06-20 08:30 | 健康化大作戦

坐骨神経痛 薬飲んで つかの間の快調!

最近2,3週間は走るのが億劫だった。少しばかりの神経痛で臀部の調子がイマイチ、更に慢性的な脚の疲れがやる気をなくしていた。そんな時に昔(…といっても半年前くらい)に病院からもらった鎮痛剤を服用した。朝と昼の2回、もちろん体のことを考えた胃薬も一緒に服用。すると、服用した2時間後くらいから調子が良くなった。職場の机からコピー機に歩いていくリズムを快調になった。いつもはお尻をちょっと叩いて刺激を与えて歩いていた。

神経痛以上にフットワークも良くなった感じだ。その延長線上にルネサンスでも頑張った。トータル16kmを気分よく顔をしかめることなく笑顔で走りきった。走りながらHawks&Lionsのテレビの中継はHawksの完敗で気分は悪かったが…。いつもより長めの16kmも走破した。持ち込んだタオルも2枚は汗でビショビショになってしまった。約1時間40分であったが、これだけ走れば気分も上々である。

帰宅してからのビールも控えめに焼酎に移ったが、今日の相手は娘婿であった。いつものようにまた飲みすぎてしまった。やらなきゃいけないことは一杯あるが目の前の酒が目に入れば、やらなきゃいけないことは後回し。まあ仕方なし。

7月までは後2週間…。シティマラソン福岡の募集開始まであと少し…。

by hyocori-hyoutan | 2010-06-18 22:54 | 日々ランの雑感

このどきどき感 一晩のサッカーファン 一喜一憂 

久しぶりに夜更かしだ。午後10時頃の眠たい時間にそのまま眠らずに、午後11時からのサッカー「日本対カメルーン」の時間帯に目がギンギンになってきた。日頃はサッカーファンでもなく、Jリーグの試合はあまり見ないが、ワールドカップとなれば話は別である。

ハラハラドキドキの連続だ。それにしても勝ててよかった。でも、あまりにも「たら…」が多いのはサッカーの特徴か。ゴールポストに跳ね返されてボールが、ぎりぎりインゴールになっていたら…。本当にきりがない。1対1になっていたら、終盤の詰めの弱さに非難が集中であったであろう。まあ、ワールドカップの本戦だから勝ってしまえば全て良し。放ったシュートが数本でも一本入ってしまえば、100本のシュートを放ってゼロよりは断然いいものだ。

ぼろくそに言われ続けた岡田監督だが、ともかく一勝してほっと一息だろう。次はオランダ戦…再びゴールは狙えるのか、ゴールポストが揺れるのか、期待はしてなかったが、つい神風が起きて勝つことができるか…そんな期待を持ってしまう、そんなことを信じたくなる今晩だ。でも甘くないだろうなあ、次々とオレンジ軍団のシュートの嵐が襲い掛かりそう…怖い怖い!

by hyocori-hyoutan | 2010-06-15 01:22 | 生活の知恵と愚痴

下駄を鳴らして奴が来る ボクの青春 今思い出す(28)

すがすがしい気持ちで大学2年生の9月を迎えた。嫌なことが全て吹っ切られたような気持ちだった。しかし、術後の安静なしに再び応援団の厳しい練習に耐えることは心配であり、退団を相談した。すると幹部は「練習をして、また悪化してもいけないから退団も止む得ないだろう」との結論が出た。すると、今まで辞めたい辞めたいと思っていた応援団であったが、無性に続けたい気持ちが高まり、その翌日には「続けてさせてください」と申し入れた。自分でもどうしようもない天邪鬼(あまのじゃく)な性格だ。

相変わらず、体力、走力ともに1回生に負ける応援団生活であったが、徐々に自信的なものは付いてきた。大学での授業は、下駄かスリッパ履きであった。冬でもあまり靴は履かなかった。靴下を履くのが面倒だったから。カランコロンと下駄を履いて授業にも出ていた。大学の生協食堂では、人目をはばからず、応援団の先輩や同輩、後輩がいたら、両手を前に出して大きな声で「押忍(オッス)」と挨拶をしていた。食堂全体に響き渡る声であったが誰も振り返らない。応援団の存在が、一般学生に中でも日常生活の中に溶け込んでいたのかもしれない。

夕方の練習は裏山の立田山の貯水池まで駆け上る。エイサ、ホイサの掛け声とともに…。その坂道沿いには学生によく通う銭湯「竜宮温泉」があった。風呂桶を片手に学生達が風呂に行く。こっちは、掛け声で汗を流し声を枯らして走り上る。風呂に行く学生が羨ましかった1年生のときであったが、2年の秋からは羨ましくなくなった。それほど勉強に熱を入れていたわけではないから、何か自分を表現するものが欲しかったし、それが応援団になってきた。

夜な夜な、友人宅に遊びにも行くようになっていた。どこに行くにも自転車だ。当時、マイカーを持っている学生は皆無、どこに行くにも自転車だった。下通りの映画館や上通りの本屋さんに行くのも自転車だった。脚の力で漕げば無料だし貧乏学生にとっては必須の交通手段だ。友人宅で酒を飲むのも自転車で出かけた。

ある夜、下南部の友人宅に酒を飲みに行った。どんなに飲んでも自分の下宿に戻るのが、通常のパターンである。真っ暗な夜道を自転車を漕いで我が下宿に戻る。すると対向車のライトがまぶしく、ちょっと路側帯の左側に自転車をきる。すると、あっという間に暗闇の中に落ち込んでしまった。そこは、幅2m、深さ1mの大きな側溝の川であった。見上げると真っ暗…。民家へつながる側溝に架かった渡り橋の下であった。その側溝の下から自転車をどうにか担ぎ上げる。服はびしょびしょである。幸い傷もなく無事だった。自転車もチェーンが外れた程度でどうにか乗れる。

油の付いた外れたチェーンを、泥まみれの手で元の状態に戻す。恐る恐る自転車に乗ると不思議なことに動き始めた。それから安全運転で我が下宿までたどり着く。汚れた体であるが銭湯も閉店している時間だし、小さな流し台でタオルを絞って体を拭く。

もしも…って言ったら切りがないが、もし自転車の転落があと1m先立ったら、コンクリートの渡り橋に自転車ごと激突だった。そんなことを考えていたら震えのとまらない夜だった。いまじゃ、酔っ払い自転車運転なんか考えられないが、38年前は何も考えていなかった。

by hyocori-hyoutan | 2010-06-12 23:03 | わが半生記

下駄を鳴らして奴が来る ボクの青春 今思い出す(27)

背中に熱い鉄板をはめ込まれたような痛みが継続する…。
病室を人が歩く足音だけでも背中の傷口が疼く…。
もちろん、咳…なんてご法度だ!

一週間の寝たきり、ずっと上向き、そのうち横を向けるようになると元気が増してくる。初めて起き上がって歩き始めても脚の痺れがなかった時は嬉しかった。これで、時間が経てばまた元気になれる。そう思うことが嬉しかった。そして術後ずっと泊り込みで付き添ってくれた亡母には感謝の気持ちも一杯だったが、その時も、その後もうまく伝えることが出来なかった。残念であった。

入院のことは夏休み期間に入っていたので、誰にも知らせていなかったが、一人だけ応援団の同期のT君が見舞いに来てくれた。多分、ボクの実家に電話をして入院のことを知り、夏休み帰省の途中に立ち寄ってくれたのだろう。見舞いに来て、夏合宿のこと、夏インカレのこと…などを話してくれた。お土産は、当時驚きの大発見と言われていた「高松塚装飾古墳」の解説本だったのを記憶している。本の内容は忘れたが、あの時の嬉しさは今も忘れられない。

そして、8月の盆前には退院することが出来た。入院期間は約40日、術後30日で退院できた。そのあとは自宅療養であったが、夏休みの終わりには、友人とボウリングが出来るまでに回復をしてきた。それほど良くなれば、大学に戻り友達と再会することが楽しみになってきた。もう戻れないと思い込み、帰省のタクシーの中での涙にくれたことが夢のようであった。

by hyocori-hyoutan | 2010-06-10 15:02 | わが半生記

下駄を鳴らして奴が来る ボクの青春 今思い出す(26)

2回生になったものの1回生の終わりの3月頃から腰の調子が悪くなっていた。整形外科に受診すると椎間板ヘルニアと診断された。走ろうとしても急に脚に力が入らない。朝起きようとしても脚がしびれて起きられない。仕方なく整形外科に入院をした。腰にベルトを巻き、そのベルトに紐を取り付けてベッドの足元の貨車に紐を通す。ベッドの端には砂袋がぶら下がっている。一日中寝ていて腰を牽引するのだ。約一週間ほどの入院でやや回復した。

そして、2回生として応援団の練習に再び加わったが、腰の具合は練習を重ねるにつれて悪化していった。下宿でもベッドに砂袋を結びつけて牽引をしたが、一向に良くならない。整形外科に通院して電気治療をしても効果はない。とうとう応援団の練習が出来なくなってしまった。体力や自分の心の弱さで部活ができないのではなく、病気のために練習ができないのはつらいものだ。

だんだん悪化をしていった。朝の目を覚まして立ち上がるまで一時間もかかる。しびれた左足を床につけると電気が走る。少しづつ体を横に向けて背中を丸めたままに起き上がる。一度起き上がってしまえば楽になるが、起きる時の痛さに耐え切れなく、椅子に座ったまま机に伏せて寝るようになっていた。この痛さから解放してくれるなら片足を切断してもいい…と思いこんでしまう。そして夏休み前の合宿にも不参加することの了解をもらって実家に戻ることにした。学生アパートの部屋を片付けて熊本駅に向かう。バスの上り降りも苦痛なので、タクシーで駅に向かう。

「熊本駅までお願いします」
その一言を言ってしまって後はタクシーの中は沈黙が流れる。大学に合格して1年3ヶ月が経過したが、このような形で実家に戻るが悔しかった。無性に涙が流れてきた。いつ治るかわからない、もし治らないならどうしよう…。ボクの大学はこれで終わりか…悪いほうへ悪い方へ考えがいってしまう。つらい帰省の旅であった。

そして、実家に戻って大学病院で診察を受ける。病名は変わらず、完全治癒を求めるならば手術しかないとのこと。成功率は90%、残りは10%は病状が好転しない場合もある。決断は早かった。脚を切っても痛みから解放されたい!だから手術を選んだ。大学病院はベッドが満床であったので紹介をうけた城南区の病院で手術を受けることになった。

7月上旬に入院して、その一週間後には手術があった。局部麻酔だから意識はしっかりしていた。手術中の医者の声も耳に入る。執刀医は2人であったので、世間話をしながら手術は進んでいく。執刀医が雑談をしながら手術をしてくれるのは、ある面では心強かった。真剣にするのでなく余裕のある手術みたいであった。それでも2時間くらいの手術時間を要した。これで、ハリを刺すような痛みから解放されるのであれば嬉しいものだ。そして麻酔が覚めていく。もちろん術後のもうひとつの戦いが始まる。

by hyocori-hyoutan | 2010-06-07 22:59 | わが半生記

またまた大東園 焼肉と冷酒 今宵も楽しく…

土曜日は走りこみ仲間と一緒にランニングをした。でも所用で2時間の予定が1時間しか走れなかったが、気分は上々で打ち上げにも積極的に参加した。飲んだ場所はいつものランニングコース沿いの浜辺公園であった。各自で持ち込んだ飲み物、食べ物で愉快に過ごす。ボクはロング缶2本と、より盛り上がった時の非常用の焼酎を持参する。他のメンバーと比べても走っていないのに盛り上がりでは負けない。これも計算のうち、非常用の焼酎も飲むのも計算のうち…。そして家に戻るとだんだんと酔いが回ってくる。それに合わせて焼酎のロックを濃い目に一杯飲み干す。これから先は記憶なく、家族の翌日の会話で再現をする。まずはオクさんの一言…。

「明日の日曜日は焼肉を食べたいね」
「いいよ、食べに行こうか。どこに行こうか」
「焼肉にいくなら、大東園にしようか」
「いいよ、大東園なら美味しいもんね」

と言う会話をしたらしい。日曜に夕方に「さあ、そろそろ大東園に行こうか」と家族達は用意を始める。「何のこと?」と不思議がるボクに昨日の夜の会話が再現される。そうだったのか。酔いが回っていなければ「ウエストの焼肉」で済んだのに、酔いが回っていたので「大東園」の焼肉の約束をしてしまった。少しの悔いも残るが同じ食べるのなら美味しいほうがいい。早めの夕食で日が明るいうちに出かける。
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やっぱし美味い!美味い!娘2人とオクさんの計4人で食べ始める。飲むのはボク一人。昨晩の飲みすぎにもかかわらず美味しい焼肉の前では食も進む。土日でゆっくり家でくつろぐのも好きだが、皆が喜んでくれるならば外食もいいもの。4人の中では一番テンションが低く家を出ても、いつの間にか一番テンションが高くなってしまった。
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肉だけでなく、冷麺やサラダも次から次に注文をする。そして、生ビールのあとには、冷酒を飲み始める。飲んだ冷酒の瓶はころころと転げだす。といいいながら飲むのは一人。2本だけでほろ酔い気分となる。6月の梅雨前の爽やかな土日も楽しく過ぎていく。
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by hyocori-hyoutan | 2010-06-06 23:22 | 家族

歩け歩け 海鮮丼たべても 脚は棒…

コース計測の2回目を行った。今日は後半の部である。ひたすら歩いていく。コロコロを横に1km毎にマーキングをしていく。20年前の第一回大会の時と違うのは、事前に距離計測のパソコンソフトも充実しているので、パソコンで事前に計測しているのとほとんど変わらない。何となく確認作業みたいである。次の角を曲がって30m行くとポイントだ。すべてその通りとなる。
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昼休みは約6km歩いた所に決めた。長浜のラーメンで有名な場所である。食べたのは既に行列の出来ている市場食堂「魚がし」である。海鮮丼と大盛り貝汁定食を注文する。これで600円である。これは食べ応えのある定食である。新鮮な刺身を程よい醤油とわさびでご飯をかき混ぜる。あとは箸で胃袋に流し込むだけだ。あっという間に食べてしまう。おいしかった。
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これで、昼食後もがんばって計測しなきゃいけない。それにしても、どんなに美味い昼食「海鮮丼」でも、10km超えるウォークの脚の疲労は堪えるものだ。やっぱし走ったほうが楽、楽だ!

by hyocori-hyoutan | 2010-06-05 22:19 | シティマラソン福岡こぼれ話