元気を贈る 西日本! これからはそうありたい 

いつの間にか年度の表記の仕方が変わってきた。昔は昭和60年、平成6年などのように元号に基づく表示が日常生活や仕事の中でも統一されていた。でも最近は元号よりも西暦表示が中心になってきた。これも昭和から平成に時代が移ったせいかもしれない。

ボクたち世代にとっての元号と西暦表示の融合点は、1964年=昭和39年である。この年は東京オリンピックの開催年である。ボクも小学校6年生…これで全ての事象を整理する癖になっている。「昭和の年号に25年加えたのが西暦だ」とか、「君は東京オリンピックの年は何歳だった?えー小学1年生、じゃボクより5歳若い」とか。

そして平成元年が1989年ということもボクの頭に刻み込まれている。この年はボクの長い仕事の上でも忘れられないのが「福岡シティマラソン」の開催年だったこと。若かりしボクが全力で達成した仕事だから覚えている。当時ボクは36歳だったかな。この平成の覚え方は「平成の年号に88年加えたのが西暦」ということになる。でもボクの年齢的には、敏感な昭和から鈍感な平成に移ったせいかもしれないが、若干混乱して分からなくなることもある。これも仕方ないことかもしれない。でも、今年は西暦と平成をつなぐもう一つの大きな事件があった。平成23年に88年加えて2011年の今年…東日本大震災のあった年であること、これもあと10年、20年たっても忘れられない出来事であろう。

幸いボクは西日本に住んでいる。悲惨な状況はテレビや新聞、雑誌を通してしか知らない。温度差はあるので、今年の花見は開催されるであろうが、やはり例年の5割、6割になるだろう。今も大変な生活を強いられている東北3県や東日本は大変だから心情的に遠慮する。でも西日本が心情的に自粛していてもしょうがない。出来るだけ活発に生き生きと生きていかなければいけないと思う。今年はまだ3月である。1年は長い、12月までには元気な日本の半分くらいは復活しなければいけない。今日はそんなことを思った。

by hyocori-hyoutan | 2011-03-30 22:09 | ああ無常

上を向いて歩こう 涙がこぼれない ように…

もう娘②が我が家に疎開して一週間がたった。我が家に関しては賑やかになった、孫の笑顔が微笑みを生む…そんな感じの一週間である。テレビをつけても少しづつであるが通常の番組に戻りつつある。でも例年の3月下旬は新番組のPRのためのバラエティ特番が組まれているが、今年は被災地、日本を盛り上げよう、頑張ろう的な番組も多い。特に目に付くのが歌番組だ。「歌は世につれ、世は歌に連れ」と言われるように歌は大きな力を発揮する。

自分の人生を振り返っても、大きな人生の分かれ道には歌がかかわっている。どうしようか迷った時に、ラジオから流れてきた歌に救われたこともある。ボクが23歳の時に聞いた「22歳の別れ」は忘れられない。20歳の時の「旅の宿」も忘れられない。まあ、どっちも心の痛手を負ったときの気持ちと妙な一体感がでた。

被災地には、悲しみにくれる共感の歌、もしくは元気を与える歌…両方が必要であろう。前を向いて歩くのはつらいが歩くしか道がない。座り込むにはあまりにも寒すぎる。走るほどの気持ちの高まりもない。やはりしっかり腕を振って歩くしかない。今日のテレビ番組のタイトルは「上を向いて歩こう」だった。日航機事故で亡くなった坂本九の名曲であるが、このタイトルの重み、この言葉のメッセージはとてつもなくでかい…そんな気がした。

by hyocori-hyoutan | 2011-03-27 21:36 | ああ無常

里帰りの 娘たちを迎えに 気はルンルン

今日は鹿児島までの日帰りドライブだった。片道265kmで往復530kmのドライブになった。愛車デリカD:5で平均走行距離は12km/Lであった。この燃費は、2400ccクラスのヘビーウェイトの車にしては上々である。もう4万km近くを走っているデリカであるが、ますます快調だ。

一人で運転するのはくたびれる。予備の運転手は娘①とオクさんだ。関東に住んでいる娘②も地震の影響でとりあえず里帰り、9ヶ月の孫娘と二人で婿殿の実家の鹿児島へ…。そこで一休みをしたあとに我が家に戻ってくる。東京マラソン以来だから約1ヶ月ぶりに出会いである。だから孫娘も体重も重くなったというより、体幹部がしっかりしてきて抱っこした感じは軽くなったみたいだ。

朝早く家を出て戻りついたら午後6時になった。でも鹿児島往復500kmを越えるドライブをしてきた実感はない。もちろん半分近く運転をしてくれた娘の存在が大きかった。運転しているとすぐに眠たくなるボクにとって3列目のシートで居眠りをするのは至福のひと時であった。帰路は可愛い孫娘と一緒だった。だから余計安全運転、高速道路でも時速80kmの安全運転だ。

これからしばらく、安全地帯の福岡に疎開した娘、その孫との一緒の生活が始まる。一緒に暮らせるのは嬉しいが、またいつかは地震が落ち着いたら関東に戻るはずだ。疎開した一日目から別れの時を考えるのは、若いつもりでも少しは年をとったかな。もうひとつは、今晩もスカイプで関東に残っている娘婿と話をする。話をすればするほど、残った娘婿のことも心配になる…。

by hyocori-hyoutan | 2011-03-21 22:15 | 家族

震災のあと スポーツの力 これから試す時

3/19(土)で今年度の最後のスポーツイベントが終了した。子ども対象のイベントであったから震災に伴う自粛の声は上がらなかった。朝早くから半旗を掲揚した公立体育館に次から次に集まってくる。参加したチームは100チームにもなる。マナーはどのチームもいい。少年スポーツ指導者も年々資質が向上してきていることを感じる。

震災によるスポーツイベントは自粛の傾向が強くなったが、プロ野球はパリーグの開催延期と予定通りのセリーグ、選抜高校野球は予定通りの実施である。Jリーグも中断のままである。もちろん、施設の崩壊による物理的にもできない状態と自粛は訳が違う。それに電力事情の悪化が複雑に絡んでくる。

実施と自粛の仕分けのポイントは、興行的なものは中止、教育的なものは決行というところであろうか。プロ野球の実施で震災に痛んだ国民を盛り上げていこう…という気持ちは分かるが、プロ野球はあくまでも興行であり人心が沈んでいる時には、開催には無理があったのかな。天下の読売巨人軍が開催延期を決定したのは時代の流れのせいか。

それともう一つ、星野監督がプロ野球の監督官庁の文部科学省に注文をつけたのは痛快だった。
「セリーグが開催決定をしたあとに、予定通りの開催はいかがなものかと言うのはおかしい。決定の前に言えばよいことだ」そうだよな、国民やマスコミの雰囲気を感じ取った上で発言は「後出しOK」みたいなものかな。

原発問題の不安が継続しておりまだまだ予断は揺るさないが、少しづつ明るい方に進んでいこう。自分に何が出来るのか…いつも悩むところは同じだ。被災地の力になることをボクも考えていこう!

by hyocori-hyoutan | 2011-03-20 20:37 | ああ無常

東日本大震災 はかない人間 でも強く強く

東日本大震災が起きて、自然の力の凄まじさを思い知らされた。

宇宙の果ては今の人間の英知ではわからない。
宇宙そのものも、ビッグバンで生まれたのか。あるいはビッグバン以前は宇宙がなかったのか…。
宇宙は無から生まれたのか…。わからないことばかりだ。

逆にミクロの世界もわからないことばかりだ。
分子があって、原子があって、電子と原子核までは教科書の世界だが、
その最小単位の素粒子云々からはわからなくなる。
そして、今は宇宙のこととミクロのことが合体して、宇宙の普遍的な法則を見つけようとしている。

そんな人間の科学を追求していくと、地球なんて宇宙からみれば小さな星にしか過ぎない。その中に生きる人間も淡い小さな生き物に過ぎない。ちっちゃな地球の中の浮遊物みたいなものだ。いくら文明が進んでも、地球の内部のことはわからない。火の玉のみたいな地球の、その薄っぺらい表皮にしがみついて生きていくしか方法がない。だから火の玉の中味がちょっと揺れると表皮にシワがよったり、破けることもあるかもしれない。それに対処する方法は、表皮にへばりついている人間には残念だけどできない。

あと40億年もたてば、宇宙に生きる惑星の宿命で地球が爆発、消滅することを避けることはできない。その前に大きな隕石の塊が海に落下すれば、数百メートルの津波が地球の陸地に一瞬のうちに押し寄せてくる。

未来は不確定だ。人間の歴史なんて地球の歴史から比べるとほんの一瞬にしかすぎない。いわんや一人ひとりの一生なんて事象には残らない。まさに人生は無常である。そんな地球の浮遊物みたいな人間だから消えてしまってもしかたない。

でも、でも、人間は、われわれは、自分は精一杯生きなければいけない。一瞬の人間の歴史ドラマ、人間が滅亡すれば誰もわからなくなる人間ドラマの1ページ、一行、一字にしか過ぎなけど…。生を授かったものは、望まない死を受けたものの分もたくましく生きなければならない。

やけっぱちになってはいけない。この世の中、あるいはこの宇宙においても無限のものはない。全て有限のものばかりだ。有限、限界があっても全力を尽くすのが寿命をもっている人間全ての任務と思う。

訳のわからないことが、頭の中を堂々巡りする。東日本大震災に直面しても、われわれは立ち上がり生き続けなければいけない。意に反して亡くなられた皆さんに心から哀悼の意を表わすとともに強く生きることの
宣言する日にもしなければいけない。

by hyocori-hyoutan | 2011-03-14 23:08 | ああ無常

英国王のスピーチ 言葉のもつ力 まさに言霊だな

日曜日の毎日新聞朝刊の「時代の風」コラム(東大教授:坂村健氏の寄稿)にアカデミー賞のこと、作品賞「英国王のスピーチ」の記載があった。その前日にボクは「英国王のスピーチ」を映画館で観ていたから、なお更のように感じるものがあった。

映画の中では英国王のスピーチが、イギリスのドイツへの戦争宣言や国民への士気を高めることに重要な役割を演じているが、日本では「あうん」の呼吸的なものが重要視される面もある。だから、日本では天皇のスピーチがイギリスほど重要視されることもないかもしれない。これは国民性の違いであり、言葉に出して相手とのコミュニケーションをとる欧米と、言葉に出さない部分を大切にする日本との違いかもしれない。その日本も、国際化の流れの中で、きちんと言葉に出さないとお互いのすれ違いや意見の対立が生まれるようになってきているかも。
c0070439_22532151.jpg
話は逸れたが本題の戻す。映画は吃音に苦しみジョージ6世の即位前から始まるが、国民に勇気を与えるスピーチをするため吃音の是正に取り組む人間ドラマであり、その吃音矯正の先生との地位を越えた友情物語でり、感動を与えるものである、このような映画が製作できるのは日本では考えられないことである。

この映画が実話に基づいているから、より感動を与える、劇中にチャーチル首相や現エリザベス女王(もちろん5歳くらいこども)が出てくるのも時代背景が良く分かり面白かった。感動する人間ドラマとして二重丸の映画だった。

by hyocori-hyoutan | 2011-03-08 22:52 | movie

東京マラソン 見て興奮 どこまで続くランナー(4)

都庁のコース横の道路にはハトバスが一杯待機していた。途中落伍というか関門オーバーの走者を収容するバスであろう。東京マラソンは7時間までゴールできる緩やかな規制であり、完走率は90%の高率であるが、高率といっても3万人の10%が関門にひっかれば3000人、50人づつ収容バスに乗せてもバスは60台必要ということになる。大変な準備が必要だ。ローカルなマラソン大会の事務局を担っているので、ついそんな事を考えてしまう。
c0070439_22323760.jpg
さて、新宿駅前付近の甲州街道という歩道橋の階段の途中で先頭通過を見送る。オープントラック仕様のテレビカメラ取材車、白バイ、トップ先頭集団と続く…
c0070439_22225638.jpg
c0070439_22231383.jpg
こちらはコースの横の歩道を歩いたり走ったりして進む。ランナーは途切れない。さすが3万人のランナー集団だ。市ヶ谷からは東京メトロ有楽町線に乗って桜田門まで先回りをする。
c0070439_22283373.jpg
そこは、丁度10kmのゴール地点であった。ボクは反対側から応援をするため地下鉄通路にもぐりこむ。気がつくと日比谷公会堂の先の内幸町駅の地下通路であった。東京マラソンでは携帯からゼッケン番号で問い合わせをすれば、参加者の5キロ毎の通過タイムを教えてくれる。オクさんの番号を入力して問い合わせをした。5km30分ちょっと、5-10kmは29分少しであった。それにスタート地点までは2分少々で通過していた。さすがBブロックスタートだ。後ろは20分もかかってしまうことと比べりゃラッキーそのものだ。
c0070439_22284894.jpg
この時点でオクさんは、15km地点付近を通過中だ。するとオクさんから携帯に電話があった。走りながらの通話だから息が上がってしゃべりかける。

「歩道の端を走っているからね。キロ表示プラカードのそばが分かりやすいよ!」
「分かった、銀座付近で待っている!」
c0070439_2229186.jpg
銀座4丁目先の22km表示プラカード付近で待つ。15-20kmも32分くらいで通過した。だから22km地点通過時間もほぼ分かる。なにせ銀座付近は一番応援も多い。応援列の最前線に場所を確保するのも大変な労力を要するが、何とか最前列を確保する。歩道沿いの花壇を踏みつけないように気をつける。来た、来た…!
大きな声をかけて呼び止める。まだまだ元気そうだ。これから浅草に向けて頑張ると声を出す。こっちは無理するな!と声をかけるのみだ。
c0070439_22291611.jpg
そして、応援の多さに浅草での応援を諦め、再び銀座に戻ってくる反対車線に移動する。そこは34km地点だ。早めに場所も確保する。ここには娘や孫娘も応援に来る予定だ。やはり30km地点の通過も携帯で確認する。25-30kmも35分くらいで通過。よく踏ん張っている。そして来た、来た。足取りはしっかりしている。良かった、良かった。ここでは立ち止まって孫とのご対面だ。オクさんはニコニコ顔だ。
「もう〇〇ちゃんとも会ったし、あとは無理しないようにゴールを目指します!」と残り8kmのコースを手を振り振り再び走り始めた。その後ろにはたまたま国分太一が10人くらいの取り巻きと一緒に通り過ぎた。沿道も大賑わいだ。
c0070439_22292748.jpg
このあとは、ゴールの東京ビッグサイトに向けて移動だ。移動の途中に携帯メールが入った。
「無事にゴールしました。タイムは4時間46分…でした。応援ありがとうございました」
良かった、良かった無事にゴールして。それにしても、東京ビッグサイトの混雑は前日以上だ。ゴールしたオクさんに会ったのは、ゴール後の1時間30分だった。

フルマラソンを走るも疲れるが、応援するのも輪をかけて疲れるもの。でも楽しかった。

by hyocori-hyoutan | 2011-03-06 22:22 | ランニング大会奮闘記

東京マラソン 見て興奮 どこまで続くランナー(3)

宿泊したのは池袋の隣の大塚駅前のビジネスホテル、歩いて大塚駅まで行く。新宿までは15分くらいで到着した。山手線の中は、東京マラソンに出場するような服装の人が多数いた。
c0070439_23174084.jpg
新宿駅から都庁まで歩いていこうかと思っていたら、新宿駅の商店街で朝が早いために閉まっているシャッターの前には、多くの参加者がたむろしていた。スタート地点の都庁に行ってもごった返し状態のため、新宿駅で着替えとトイレに行って準備をしているようだ。我々もマネをして、ここで着替えやしばしの暖をとる。
c0070439_23175689.jpg
でも、荷物預かりリミットが8時半なので、8時10分すぎに都庁に向かって歩き出す。すると見つけた「荷物預かりトラック」が整列をしていた。ナンバーカードには、所定のトラック番号が書いてあった。「50番」のトラックを探す。見つけた!ここからは、選手と応援者の垣根があった。鉄柵とガードマンで厳重な警備だ。
c0070439_23181151.jpg
ここで、オクさんと別れて、オクさんは指定されたスタートブロックに急ぐ。こっちはそれを見送る。ナンバーカードに示されたスタートブロックは「B」である。全てのランナーはA~Kブロックに分かれていた。それのBブロックだから良いポジションを得たものだ。ちょっと自己申告の予想ゴールタイムのレベルが高すぎたかな。
c0070439_23182590.jpg
ボクは、スタート地点の写真を撮ろうと場所を探し回るが、スタート地点の写真位置は関係者エリアの中にしかない。仕方なく後方の選手整列地点に近づくことが出来たが、それも応援席の10列目くらいで選手は見えない。石垣の上に上り更にカメラを持つ手を伸ばして少しでスタート風景になるようにシャッターを押す。
c0070439_23184058.jpg
遠くからは開会式のセレモニーが音楽が聞こえてくる。9時10分スタートの15分前になった。ここに長居をしてもしょうがない。場所を新宿駅の方に移すことにする。

by hyocori-hyoutan | 2011-03-04 23:10 | ランニング大会奮闘記

東京マラソン 見て興奮 どこまで続くランナー(2)

前日の受付は東京ビッグサイトだ。とっても大きな特徴的な建物だ。池袋から東京メトロ有楽町線で豊洲まで、そこから「ゆりかもめ」に乗って到着した。
c0070439_12345620.jpg
中に入ると、選手受付ラインと応援者見学者ラインがきちんと区分されている。こっちは見学者ライン、うちのオクさんは選手受付ラインに沿って進む。
c0070439_1235721.jpg
EXPO会場は押すな押すなの盛況ぶりだ。アシックスコーナーでは東京マラソン2011限定Tシャツ等が飛ぶように売れていた。でもそれを購入するにも長い列が続いている。今回はボクは走らないので、それほど限定品には執着しない、素通りだ。またステージの上では、明日の本番に向けての心構え、前半、中盤、終盤の腕や足腰の使い方の実技講話が続いていた。
c0070439_12351893.jpg
アシックス、ナイキ、アディタス、プーマのそれぞれのコーナではパンフレットをもらっていたら、それだけで大きな紙袋になってしまった。それにエアーサロンパスなどの試供品ももらう。その頃には、受付を済ませたオクさんから携帯電話がかかり、待ち合わせ場所に移動する。また舞い戻ってアシックスの靴売り場に到着した。
c0070439_1235297.jpg
靴を買ったらバックが大きく膨れるので買わない。というより品数が多くても定価だから買わない。くたびれてビッグサイト内のレストランに入る。ハンバーグランチを食べる、値段は高いがあまり美味しくない。受付だけでくたびれてしまう。でも、この熱気はすごいものだ。マラソン大会というよりお祭りだ。前日でこの有様だから当日はすごいだろう。

帰路は、ゆりかもめに乗って新橋方面に出る。途中、フジテレビの本社屋も見える。そう、このお台場に来たのはもう12年前だ。まだ、フジテレビの社屋があるだけで、後は原っぱでゆりかもめだけが走っていた印象が強い。今は30歳を迎えた長男が東京の大学に行くようになり、家財道具を当時のマイカー、デリカスターワゴンに詰め込み遠路1200kmをドライブして東京まで走った。その東京見物の最初に来たのが、このお台場だった。12年前であるが、この変わりようはすごいの一言である。さあ、明日が本番、このあとは遊ばずにホテルに直行しよう。

by hyocori-hyoutan | 2011-03-03 23:33 | ランニング大会奮闘記

東京マラソン 見て興奮 どこまで続くランナー(1)

まさに天は我を見放さなかった…と言うのでしょうか、2/27(日)は好天に恵まれた。過去の東京マラソンは「晴れ1勝、雨3敗」であったが、今回の晴れで2勝3敗まで戻したようだ。ともかく、朝7時過ぎに会場入りしたがすごい人出だ。マラソン大会の次元を超えたお祭りだ。
c0070439_23383542.jpg
東京都庁周辺は人の波と規制の厳格さでイベントの大きさを体感する。スタート付近には近寄れず、遠くから3万人を越える整列を眺めるだけだ。聞こえるのは大会前のセレモニーの国家斉唱や主催者挨拶、音楽隊の演奏だけだ。
c0070439_23381146.jpg
これじゃ近寄れないと思い新宿駅方面にカメラ位置を変える。そして大集団がやってきた。すごい集団だ、迫力に圧倒される。これじゃ、ボクのオクさんを探すのは至難の業だ。あきれるままに3万人の集団を見送るままだ。今日はこれまで…。東京マラソン見聞録は続く。

by hyocori-hyoutan | 2011-03-01 23:37 | ランニング大会奮闘記