ひょっこりひょうたんの日誌

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先日、人間ドッグに行ってきた。今までは共済組合だったから結構格安で受けることができたが、退職して今年の4月からは組合けんぽになった。割高になった。それでも例年のことだから、毎年同じ検査を受けないと気持ちが悪い。しかし、今回は心臓でつまずいた。心臓の悪いのは覚悟というか慣れていたが、心電図にP波が表れてないとのこと。そのため、鎮静剤を使う大腸内視鏡、胃カメラは見合わせようとのこと。その代りに循環器内科の紹介状をもらった。その足で循環器内科に受診。再度、心電図検査と24時間ホルダー検査を実施した。その結果を聴きに今日行ってきた。

先生の言では…
昔ならペースメーカを入れないといけないな。でも運動をしているので「スポーツ心臓」から来ているかもしれない。昼間の運動、心臓の使い過ぎで、夜就寝時に副交感神経が活発になって脈がとんだりして最大2.8秒の脈がなくなっている。夜だけ薬を飲んでみましょう。「ロートエキス錠」を飲んでみましょう。2週間後に、また来てください。

そんな訳で、今日から薬を飲み始めた。いっぱい薬を飲むようになったもんだ。血液サラサラ、血圧を下げるもの、インスリンの出が遅いのに合わせて消化を遅くするもの、そして今回の脈拍を速める薬…。年は取りたくないもの。でもその成果、今晩の脈拍は、いつもの40くらいから50に増えた。喜ばなきゃいけないな。自分の体といっても自覚症状がないから面倒なもの。医者の指示に従って養生して行こう。
by hyocori-hyoutan | 2013-11-22 00:12 | 健康化大作戦
11月下旬になった。寒い日が続く。平年より寒いとテレビの天気予報が知らせていた。この11月になると思い出すのは、34年前の結婚記念日…。早いものだ。もうそんなに立ってしまった。
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子どもたちからケーキと花を頂いた。確実に夫婦の生活も折り返しは過ぎているであろう。でもなんかいつまでもこの生活が続くみたいな錯覚を持つこともある。有限だからこそ一日一日を大切にしていきたい。でも、知っているようで知らないのも夫婦間の宿命…。わかっていても言葉のやり取りでケンカみたいになることも…。無限ならケンカしてもいいが、有限だからケンカは勿体ない、そう思う今日この頃である。
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今年のプレゼントは何にしようかな。とりあえず食事、あるいは旅行…。メモリアルデーは、毎年だからこそ大切にしよう。
by hyocori-hyoutan | 2013-11-21 00:46 | 家族
新聞等で日本のことを「この国」という表現が使われる。たとえば特集企画で「この国はどこに行こうとしているのか?」みたいな表題だと客観的、あるいは他人事みたいな内容になる傾向かな。

昔から「これ」「それ」「あれ」…の表現は中学校の国語で習った気がする。「これ」は自分の領域を指す言葉だから、この国=日本で正しい。でも「この国」と使うのは、日本人なのにちょっとよそよそしい。「この国」を「我が国」と言い換えれば、日本の中に自分自身が包含される言葉づかいになる。

そうだよね。「この国」と使えば常に批判的な内容につながるが、「我が国」と使えば建設的な内容になるみたい。だから評論家はこの国と使い、本当に日本をよくしたいのであれば、自分自身を日本に包含する「我が国」の言葉を多用する気がする。

我が国と使うことだけで、右翼と間違えられた歴史があったかもしれない。それは本当におかしいことだ。日本の将来を考えるときに「我が国」を主語で話せば、お互いに理解しあえると思う。日本のことを愛せるって当たり前のこと、それが最近やっと自分自身でも理解できてきた気がする。

この国って…てな感じでしゃべり始めると、責任感のない言葉続きそう、日本の将来はないって感じにつながりそうな表現ですね。
by hyocori-hyoutan | 2013-11-12 19:31 | 世相を斬る
九州一周駅伝大会が本年をもって62年の歴史を閉じる。ちょうどボクの生まれる2年前から始まったことになる。ボクの家が馬出にあったので、最終区の篠栗~福岡間の中間点付近になる。駅伝コースは、箱崎商店街、筥崎宮前を通って千代町に抜けていく大学前通りだった。中央線も引けない狭い道(今もそうであるが…)だった。
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そんな道の両側に人が押し寄せる、どうにか車1台が通り抜けていく、その後ろを選手が必死に走っていく。大きな声援が飛ぶ。「福岡がんばれ」「宮崎がんばれ」と…九州各県の一体感と県民意識が交錯する。何も刺激がなかった昭和30年代の頃には、駅伝応援はハレの日だった。
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そんな子供の時の原体験がランニング熱を生み出していく。遊び場所は道具山神社だった。そこを起点に白山神社を経由する一周コース(350mくらい)が駅伝コース。それぞれ3人くらいで2チームに分かれて駅伝遊びだ。もちろん年齢差もあった遊びだったので、ハンディキャップをつけてレース開始。最初から飛ばす、そしてバテル。最後は歩くような感じで、タスキじゃない手タッチで次の子にリレーをしていく。何も遊び道具が要らないゲームだった。

でも小学校高学年頃からは、体力のなかったボクは、小学校、中学校のマラソン大会でもいい成績は収められなくなった。自分が走ることではなく、応援すること、見ることに熱中し始める。その頃は、花形選手は寺沢徹(クラレ)、中尾隆行(東急)、広島日出国(旭化成)等だった。毎年のように福岡国際マラソンで応援をした。その後、フランクショーターが出てきて、宗兄弟や瀬古の時代がやってきた。

そして、そのあとは自分が走るようになった、マラソンも走るようになった。人と比べて劣っていた体力も長距離だけは別だった。自慢じゃないがフルマラソン、2時間42分まで上り詰めた。今も走ることだけは続けて還暦を迎えてしまった。その原体験というべき「九州一周駅伝」の歴史が消えることは寂しいものだ。
by hyocori-hyoutan | 2013-11-09 21:48 | スポーツに一言

マラソン雑学は一流、記録は二流、そしてランニングフォームは自己流の三流、しかし、マラソンと人生を結びつける哲学は特級です。飲む時は年を忘れて、酒なら何でも来い!飲んだ分だけ走らゃいいと思っています。


by hyocori-hyoutan