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ああモンテンルパの夜が更けて 涙が止まらず……

昭和27年頃にヒットした歌謡曲「ああモンテンルパの夜は更けて」についてのテレビ番組があった。久し振りに感動して涙がとりとめもなく流れてきた。

戦争が終わって日本に戻っていたものも戦犯の罪でフィリピンに引き戻される。無事に日本に戻ってきたことを喜び、妻や小さな子どもとの短い期間ながらも楽しい生活から一転して、戦争犯罪人としてフィリピンで死刑判決を受ける。そして執行される。残された死刑囚たちは100有余名である。全く身に覚えないものをいるが、虐待を受けたフィリピンの人の「指差し」ひとつで死刑になる。戦争は恐ろしい。戦争は殺し合いであるが、戦争が終わっても戦争裁判までが広い意味での戦争かもしれない。

戦争が終わって、7年、8年も経過しているのに、まだ戦争犯罪で外地では死刑が執行されている。日本国内ではそんなことは誰も知らない。戦後の経済成長の中に浸って戦争を忘れようとしている。そんな中で、フィリピンからの一通の手紙楽譜が「渡辺はま子」のもとに届く。作詞作曲は獄中の死刑囚である。悲しいメロディ、哀愁を帯びた歌詞、でも必死に生きようとするエネルギーを感じ取れる。その歌を「渡辺はま子」はレコード化した。戦争後の平和に明け暮れていた日本であったが、多くの人は、戦争がまだ終わっていないことを心に刻んだ。大ヒットした歌とともに署名活動、減刑嘆願活動が国内に広がっていく。
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当時フィリピンと国交がなく一般人の渡航が困難な中、「渡辺はま子」は外務省、フィリピン当局と掛け合って渡航許可を求め、どうにか許可されて獄中慰問で歌を歌い続ける。その生テープがテレビを通して流れてくる。死刑囚を含めた大合唱の「ああモンテンルパの夜は更けて」の歌声が流れてくる。「渡辺はま子」は獄中の一人から手紙を受け取る。手紙が来ない内地の妻に手紙を届けて欲しい……。

日本に戻って、渡辺は手紙を届けに行く。でも妻には戦地で死亡との情報しかなかった。子ども3人を抱えての戦後の苦しい生活は女手ひとつでは乗り切れない。仕方なく再婚した。だから、どんなに再会したくても会うことができない。手紙を出すことはできない。そんな不幸が日常的だった戦後の昭和20年代だった。

そして、フィリピンの大統領のもとに、死刑囚の世話をしている仏僧は面会を求める。運よく面会が実現する。プレゼントは、渡辺が届けたオルゴール(♪ああモンテンルパの夜は更けて♪)であり、蓋を開けて大統領は曲に聴き入る。悲しそうなメロディに大統領は心が打たれる。仏僧は、この曲の作詞作曲者や、歌詞の意味を説明をする。大統領自身、愛しの妻や3人の子供を日本軍とのマニラ市街戦で亡くしている。日本を憎んでいる。でも、この美しいメロディは死刑囚が作ったもの……。戦争は美しい心までも奪うものだ。人間ひとりひとりには罪がないと悟る。そして恩赦がでて100有余名は無事に日本に戻ってくる。

歌の力はすごい。一曲の歌で多くの人の命を救った。その歌を歌う歌手のエネルギーもすごい。渡辺はま子という歌手はすごい。そして、そのすごさは、毎年のように渡辺はま子とその100有余名の交流が続いていたことだ。その交流も今は、10余名になってしまった。90歳を超える者だけだ。でも、90歳を超えても、この歌「ああモンテンルパの夜は更けて」を聞くと感動の涙が流れるという。
by hyocori-hyoutan | 2009-09-14 23:40 | movie