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生涯スポーツ 養老孟司先生 大いに語る

東京では、生涯スポーツに関する全国大会に参加することも大きな目的であった。基調講演は、東京大学名誉教授 養老孟司先生である。ベストセラーの「バカの壁」の著者である。ボクはこの本を読んだことがある。調べてみると2003年のベストセラーだったらしい。読んで面白かったが、面白かったから誰かに読書を勧めて貸してしまった。だから読み返そうにも今は手元に文庫本はない。基調講演のテーマは「スポーツと脳」であった。1時間30分の講演時間であったが、座ることなし…、立ち止まることなし…、常に演壇の上を右に左に歩いておられた。

「ボクはじっとしていられない。歩いていないと、動いていないと話が続きません…」と述べられた。その最初の言葉が1時間半にわたる話のベースであった。一生懸命話は聞かないといけないが、一生懸命になればなるだけ、メモをとる手は休んでしまう。だから以下の文章は、養老先生の話のエキスというより、ボクが感じたことを養老先生の言葉を借りて記述したみたいになった。まあ、今後の自分自身の参考になるので、ブログに掲載しておこう。
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現代社会は体の自然の動きを制限している社会だ。昔は田んぼのあぜ道や土の道、砂利の道、馬糞牛フン等も道にあった。注意して歩く必要に迫られていた。だから、バランスを保ついい運動にもなっていた。しかし、今は単調なコンクリートの道、動く歩道まで出来てしまった。これじゃ頭に新鮮な刺激が伝わらない。動くことが軽視されてしまった社会になってしまった。
もともと、運動のプログラムを脳はもっており、反復することで脳に刺激が与え上達することが出来る仕組みである。

学校教育の中では体育を特殊化している。体の動きは、本来は無意識なのに体育では意識する方向に学ばせた。日本では江戸時代などの昔から、運動には「道」がついていた。剣道、柔道…、そして文化的要素の強いものにも茶道、華道…にも「道」があった。道とは型を学ぶことであり、意識ではなく無意識の世界で運動をすることへの鍛錬であった。それ故、身体技法としては無意識化することが目的になっていた。

意識はスポーツでは邪魔者なのに、現代は意識中心、重点の世の中になっている。その結果として、体と頭(脳)の連携が不十分になり現代の病(うつ病等)が広がってきている。健康を保つには体を動かすしかない。テレビで放映されている「鉄腕ダッシュ村」的なものを全国に展開しなければならい。都会に住む人間が、1年に1か月でも田舎住まい、農業等をやれば現代病はなくなるものである。

イギリスは最初に産業革命を成し遂げて世界をリードしていたが、今は斜陽の道を歩いている。でも体と脳のことは、よく理解している。いろんな近代スポーツはイギリスの貴族、富裕層から生まれ、体を動かすことに強い関心を示していた。朝起きてまず運動をして朝食である。ボリュームのある食事は、運動したからこそ食べれことができる。

これからの時代は、頭で考える前に体を動かすことが、人間性を取り戻すことになるでしょう。皆さんもスポーツと脳の関係を考えて、スポーツの振興に励んでください。


という話であった。東大医学部出身、解剖学の権威…話の一つ一つに重みがある。最近の傾向として「国家の品格」の藤原正彦さん(数学者)や、この養老孟司さんのように理系論客の本が良く売れているし、スーと文章が頭(脳)に入ってくる。難しい理系の論理や考え方は、日本という国、そして日本語の持って生まれた繊細さや情緒によって、欧米とは違う論理的な考えも生まれるのであろう。この二人の論理の中で好きな点は一杯あったが、印象深いのは…

英語は上手いからと言って国際人ではない。国際人とは母国である「日本」の伝統や歴史に造詣が深く、繊細な言葉に言いまわしや表現力の豊かな人間のことを指す。英語が上手くても、その表現力が幼稚だと、外国でもバカにされるだけだと…。

ボクもそう思う。豊かな会話は豊かな知識と国籍を超えた優しさから生まれるもの。
「英語が出来れば国際人…、だから小学生から英語を教えよう!」 …なんて浅はかな人間が考えること。
こんなことを言っている人間が、英語ペラペラならカッコいいが、英会話が上手くないボクが言うと説得力がないかな……。
  
by hyocori-hyoutan | 2010-02-12 21:39 | 生活の知恵と愚痴