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下駄を鳴らして奴が来る ボクの青春 今思い出す(9)

大学に入って1ヶ月経った頃に、一人暮らしを心配したのか、両親そろって熊本に様子を見に来た。軽自動車(三菱ミニカ)に乗ってやってきた。家で一緒に暮らしている時と、一人暮らしをしている時では、親への接し方が違う。やっと1ヶ月間だけの一人暮らしをしたに過ぎなかったが、親のありがたさを味わうには十分であった。

せっかくだから…温泉に行こうということで、親子3人で熊本近郊の山鹿温泉に行った。一緒に暮らしているときは、恥ずかしくて出来なかった親孝行もその時にできた。父と一緒に風呂に入り、「背中流そうか」と声を掛け、父がうなづくと父の背中を石鹸で洗い流した。その時が初めての経験であり、結果として、最初で最後の背中流しになってしまった。同居ではわからなかった父親の寂しそうな背中だった。そして、温泉に一泊した翌日は山鹿温泉のバスセンターで、両親は福岡へ帰り、自分は熊本行きのバスに一人寂しく乗って熊本の下宿に戻った。一人暮らしをしているのだなあ……と実感した一コマであった。

当時はもちろん携帯電話みたいな便利なものはない。福岡-熊本間のたった100kmに過ぎないのに、電話をかけるのも大変、電話を受けるのも大変だった。電話は下宿屋にかかってくる。呼ばれたら「すみません、ありがとうございます」といって恐縮して肩身の狭い思いで、下宿屋の居間の電話口に出る。電話をかけるには、わざわざ、市外通話が出来る公衆電話まで自転車で出かけ、10円玉を一杯用意して架けなければいけなかった。そんな具合だから、電話をかけるときは「金なし金送れ!」的な会話しかなかった。

でも、山鹿温泉から戻った夜は自転車を飛ばして、公衆電話口まで出かけ親に電話をしたことを覚えている。「無事に帰ったよ!」「そうかよかった。こっちも戻ってきたよ。」短い会話だった。当時は高速道路もない時代だった。山鹿-福岡間でも国道3号線の山越えルートなら3時間はかかっていたと思う。携帯電話があっていつでも連絡できる状態ならば、どんなに遠くても安心するものだが、近くても連絡つかない状態は不安で仕方がないものである。だから、昔は今以上にお互いに心配をしていたものだ。逆に電話連絡なんて、いい知らせより悪い知らせの方が多かったような気がする。

「便りがないのはいい知らせ、元気でがんばっているということ」そんな時代だった。
by hyocori-hyoutan | 2010-03-26 04:42