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下駄を鳴らして奴が来る ボクの青春 今思い出す(23)

あわただしく春休みは過ぎていく。そして2年生になる。2年次になって最初に考えなければいけないのは自分の進路だった。大学入学時は文科であったが、2年次からは、その先のより専門分野に進むことになる。志が高ければ悩まないが漠然として大学に進んだものは大いに悩む。その進路は大きく3つであった。哲学コース、歴史コース、語学コースであった。ほとんどの学生は自分の進路を決めていても最終的な進路の場面では悩むものであった。ボクもその例に漏れず、哲学系の社会学、語学系の英文学、歴史系の国史の3つの選択に悩んだ。その選考は自分の希望だけでなく教養部の成績も参考にされた。つまり人気のある専門は競争率も高いということだ。

教養部から初めて法文学部の建物に入って、専門コースのガイダンスがあった。ボクは最終的に英文学か国史かを選択しようと思った。ボクのいい加減なところは人生の選択場面において消去法を用いてしまうこと。英文学は優秀な女子学生が一杯いることは分かってきた。教養部の英文学の授業でも、その優秀な女子学生達との差を感じた。人生の進路で自信がないところにはいけない。ということで英文学はあきらめた。残った最後は国史であった、つまり日本史である。歴史は好きだったからこの道に行こうと最期の選択をした。そして国史研究室で説明会に望んだ。

「国史の定員は△△人です。ここに集まった人は◇◇人です。実は、今年度から国史が二つに分かれます。従来通りの国史と新しく出来た考古学です。そのため、ここに集まった人の中で国史と考古学希望の人を分けます。〇日までに希望を伝えてください。」という説明があった。大いに悩んだ。どうしようか悩んだ。もともと考古学なんて選択になかった訳で何も悩む必要はなかった。でも国史に進むには古文書の読解が必要ということを聞かされた。ボクは高校の古文が嫌いだったので、例のごとく消去法で国史選考が消えてしまった。

当時の考古学は、九州地区でいえば、九州大学と別府大学の研究室があるくらいであった。未知の分野に進むのは面白い。それに先輩もいないし発掘調査なんか面白いかもしれない。そんな軽い気持ちで考古学を選択した。その考古学研究室を選択した一回生は男3人、女4人の計7人であった。これから道を切り開く仲間の誕生であり個性豊かな7人であった。この考古学研究室がボクにとっての大学生活の2つ目の柱となった。
by hyocori-hyoutan | 2010-05-23 21:02