ひょっこりひょうたんの日誌

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歴史認識 世につれ所につれ 変わるものかも

歴史認識が問題になっている。まず「歴史」と「歴史認識」をきちんと整理しなければいけない。日本人にとっては学校の教科書に書いてあることが、事実と背景(考え方)の歴史としている。だから、日本人の考える歴史=(狭義の事実としての)歴史+(考え方の)歴史認識であろう。

しかし、隣国では、事実としての歴史を軽んじられ、(考え方の)歴史認識が突出している。だから事実には目をつぶって、「歴史認識」のみ先行をしている。そんな状況なのに、一昔前に歴史認識を普遍化するための教科書問題協議なんて妥結することなんかない。案の定そうなったが…。特に現代の人間にとって都合の良いことだけを歴史認識として強調することは、日本人には承認できない。

しいて言えば、国内ではいいが、国外にまでその認識を強制してほしくない。その唯一のよりどころが大平洋戦争による勝者が全て正しく、敗者が全て悪いという歴史観から来ている。「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉とおりである。でもこれが今の世の中に通用しないことは明らかである。これを認めれば、もう一回戦争をして、勝者にならないとひっくり返しはできない。

そうならないために、国連ができて、戦争での勝者が正しく、敗者が悪いのではなく理に基づいてた解決方法を模索している。なかなか、そうはならないのも現実であるが。「人類に対する罪」「平和に対する罪」で裁こうとしているが、なかなか各国の利害もあって、その罪の普遍化作業も難しい。

それに勝ち負けに関係なく罪があるなら、非戦闘員の中心地に原爆を2回を落とした罪は勝者だから許されるのか、最近そのことを強く思う。隣国も原爆被害者の補償を原爆を落とした国に請求してみたらいい。むかしから「繰り返しません。原爆の悲劇を…」を犠牲者に宣言をしても、その原爆を落とした当事者に言えないのが、敗者の限界か。まだその最高指導者は未だに謝罪もしていない。
by hyocori-hyoutan | 2013-08-25 23:49 | 世相を斬る

マラソン雑学は一流、記録は二流、そしてランニングフォームは自己流の三流、しかし、マラソンと人生を結びつける哲学は特級です。飲む時は年を忘れて、酒なら何でも来い!飲んだ分だけ走らゃいいと思っています。


by hyocori-hyoutan