ひょっこりひょうたんの日誌

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九州一周駅伝 幕閉じても 思い出に感謝

九州一周駅伝大会が本年をもって62年の歴史を閉じる。ちょうどボクの生まれる2年前から始まったことになる。ボクの家が馬出にあったので、最終区の篠栗~福岡間の中間点付近になる。駅伝コースは、箱崎商店街、筥崎宮前を通って千代町に抜けていく大学前通りだった。中央線も引けない狭い道(今もそうであるが…)だった。
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そんな道の両側に人が押し寄せる、どうにか車1台が通り抜けていく、その後ろを選手が必死に走っていく。大きな声援が飛ぶ。「福岡がんばれ」「宮崎がんばれ」と…九州各県の一体感と県民意識が交錯する。何も刺激がなかった昭和30年代の頃には、駅伝応援はハレの日だった。
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そんな子供の時の原体験がランニング熱を生み出していく。遊び場所は道具山神社だった。そこを起点に白山神社を経由する一周コース(350mくらい)が駅伝コース。それぞれ3人くらいで2チームに分かれて駅伝遊びだ。もちろん年齢差もあった遊びだったので、ハンディキャップをつけてレース開始。最初から飛ばす、そしてバテル。最後は歩くような感じで、タスキじゃない手タッチで次の子にリレーをしていく。何も遊び道具が要らないゲームだった。

でも小学校高学年頃からは、体力のなかったボクは、小学校、中学校のマラソン大会でもいい成績は収められなくなった。自分が走ることではなく、応援すること、見ることに熱中し始める。その頃は、花形選手は寺沢徹(クラレ)、中尾隆行(東急)、広島日出国(旭化成)等だった。毎年のように福岡国際マラソンで応援をした。その後、フランクショーターが出てきて、宗兄弟や瀬古の時代がやってきた。

そして、そのあとは自分が走るようになった、マラソンも走るようになった。人と比べて劣っていた体力も長距離だけは別だった。自慢じゃないがフルマラソン、2時間42分まで上り詰めた。今も走ることだけは続けて還暦を迎えてしまった。その原体験というべき「九州一周駅伝」の歴史が消えることは寂しいものだ。
by hyocori-hyoutan | 2013-11-09 21:48 | スポーツに一言

マラソン雑学は一流、記録は二流、そしてランニングフォームは自己流の三流、しかし、マラソンと人生を結びつける哲学は特級です。飲む時は年を忘れて、酒なら何でも来い!飲んだ分だけ走らゃいいと思っています。


by hyocori-hyoutan