青島太平洋 ラスト7kmは 練習のイメージで……
2006年 12月 12日宿舎の「青島グランドホテル」はジャイアンツのキャンプ宿舎でも有名である。展望の露天風呂から太平洋、青島、鬼の洗濯板の景観が見渡される。
早速、宿舎について夕食までの時間があり、ジョッグをする。宿舎の海岸側は遊歩道になっており、そのまま青島まで歩いていける距離である。でも明日に備えてのジョッグであり、青島と反対に向けてジョッグ開始する。12分ほど走って戻ってくれば約4kmになるから、丁度いいウォーミングアップになる。薄手のウインドブレーカーの下のTシャツは汗一杯となる。散歩道には距離表示の立看板がいくつも立っていた。今年からハーフや10kmのコースが変更になり遊歩道がコースになったらしい。
そのまま、青島で必勝祈願(本当は完走祈願もしくは無事故祈願ですがね……)をする。そして昨年同様に、鬼の洗濯板で記念写真を撮る。明日への抱負は、ともかく歩かないことかな。
号砲とともに飛び出す!予定では5㌔26分のつもりであったが、やはりちょっと早い感じがした。最初の1㌔は若干混雑していたのも関わらず5分10秒であった。でも体がそのスピードで乗ってしまったので、しばらくはそのままで行くことにする。5㌔25分19秒で通過!前半で稼いでおこうという気持ちになる。周りにも知人がいたが、実力からしてちょっとオーバーペースかな……という感じである。14㌔で実力3時間20分程度の女性ランナーに抜かれる。抜かれて当たり前、後はつけずにマイペースを守る。
20㌔までは、予定の26分/5㌔を約2分半も上回るペースである。そして、単調なコースの中では楽しみの折り返しとなる。誰がどの辺を走っているのか、自分の相対的な位置を確認出来るし、後半への目標設定も出来る。速い人はそれなりの、遅い人もそれなるに確認できればいいわけであるが、たまには予想外の展開もあるから面白い。
今回は、自分のポジションがちょっと高いこと(オーバーペース)を確認した。これは後半への不安になるのか、高いレベルへのチャレンジになるかどうかは、20-30の走りにかかっている。それともう一点は、相棒が1分ほど(約200m)後方を走っていたことであった。これが、終盤のドラマを生む要因になった。(以下は5㌔毎のラップです)
【5km毎】
0-5・/5-10/10-15/15-20/20-25/25-30/30-35/35-40/40-LAST
【小生】3時間49分20秒(net3時間48分45秒)
25:19/25:03/25:31/25:35/26:14/27:38/30:37/30:05/12:43
【相棒】3時間49分20秒(net3時間48分28秒)
25:35/25:09/25:24/26:04/26:56/27:28/29:17/29:52/12:43
折り返して後のスピードは落ちてないつもりであったが、体感スピードと実際スピードが1㌔で10秒ほど狂ってきた。これは明らかに疲れが出てきた証しである。フォームを少し変えてリラックスに努めるが、あまり効果がないみたい。特に25-30kmの27分38秒はひどい落ち込みとなる。予定より1分半は悪いラップタイムとなる。残り12kmあまりの距離が大いに不安になる。
すると、31km付近で500mほど後方に行ったW選手(職場の友人)が横をサッと抜いていく。
W氏:「やっと追いつきました!」
小生:「もうばてたよ、お先にどうぞ」
と答える。しかし、こんな弱気の応えをしたらよくないと、後から思った。本当にペースが落ちてしまった。レース中は常に強気に考え、強気の言葉を言う方がいい。
とうとう、30-35kmは30分を超えてしまった……。弱気な気持ちで、残りの距離と今のスピードでゴール時間を予測すると3時間50分は超えて52分くらいかな……と計算をする。頭はそんなことを考えているから、周りの選手は小生を抜いていくばかりである。
でも、その転機は35km過ぎに起こった。
「あらっ!」と一言だけ言って抜き去っていくランナーがいた。相棒である。こちらは無言のままである。「あらっ!」の後には続く言葉がある。「こんな所を走っていたの。お先に行きま~す!」
と言う言葉であろう。本当は何キロも前から、独特のフォームで走る小生をターゲットに走っていたに違いない。
その後は、ちょっと無理をして後方3mについていく。すると楽にスピードが上がった感じがした。生き返ったのである。マラソンでは頑張って走っていたら「3度生き返る」という話を前日に聴いたばかりである。まさに生き返った。
でも、相棒の前には出ない。このまま40kmまで引っ張ってもらおうと思い、無駄な動きはしない。多分相棒も、小生がもう遅れてしまっていると感じていたのか、後は振りかえらない。そして、38kmの給水でみかんに手を出した相棒が立ち止まり、バナナに手を出してすぐに走り出した小生が前に出てしまった。今度は小生が引っ張る番になってしまった。後は振り返らない。1㌔毎のラップは6分程度である。上出来の挽回である。周りのランナーと同じスピードになっており流れに乗った。
40㌔地点通過!残りを㌔6分ペースで走れば3時間50分を切れる。ひたすらペースを維持して走る。競技場が近づく、もう大丈夫かな……。競技場へ大きく左へカーブする下り坂に入る。気持ちは楽になる。
41㌔地点、応援のバスツアーの仲間から声援を受け、写真に向かってポーズを取る余裕も出てくる。そして、ここから前と後で走っていた相棒と併走する形になり、声を掛ける。
「このまま、あと1㌔頑張ろう、今のペースで3時間50分は切れるから……」
少しスピードはあがる。マラソンコースの両側に応援する人で膨れ上がってくる。その人々からの応援でエネルギーをもらう。競技場のゲート付近には高校生のボランティアスタッフが10数名大声を上げて手の平をこっちに向けている。
「ありがとう!」「ありがとう!」と心から喜びの声を出して、そのハイタッチに応えていく。ちらっと腕時計を見る。まだ3時間48分台だ。50分は切れる。そのことを相棒に伝え、第4コーナーを回る、あとゴールまで100mだ。幸い周りにはランナーが切れてしまった。トラックの中央コースを早々と手をつなぎお互いに両手を上げてゴールラインに飛び込む。
相棒は自己新である、良かった、良かった。最後の7kmは練習と同じ気持ちで、強気な気持ちになったのが大崩れしなかったことでしょう。そして、ツアーを一緒に行ったK女史も自己新の3時間37分台である。今年も大きな収穫のあった『青島太平洋マラソン』であった。
by hyocori-hyoutan
| 2006-12-12 01:21
| ランニング大会奮闘記