ひょっこりひょうたんの日誌
2021-11-11T22:56:06+09:00
hyocori-hyoutan
マラソン雑学は一流、記録は二流、そしてランニングフォームは自己流の三流、しかし、マラソンと人生を結びつける哲学は特級です。飲む時は年を忘れて、酒なら何でも来い!飲んだ分だけ走らゃいいと思っています。
Excite Blog
血管プラーク 厚いと言われ 脂質カット生活は続く
http://hyocori.exblog.jp/32373479/
2021-11-11T22:55:00+09:00
2021-11-11T22:56:06+09:00
2021-11-11T22:55:08+09:00
hyocori-hyoutan
健康化大作戦
4年ほど前に検査で血管内のプラークが厚いと言われ、
放置していたら脳梗塞や心筋梗塞の危険があると言われた。
その時、ネットで一生懸命に治療法を検索した。
そこで見つけたのが久留米市で開業するクリニックだった。
毎回検査してプラークの厚みを計測、そして食事療法は脂質カットである。
それ以来、天ぷらやハンバーグ、ケーキ類は出来るだけカット。
プラーク除去によいと言われた「ところてん」や「いりこ」を毎日摂取している。
幸い、厚さは減少傾向にある。
もちろん、飲酒も、ここ4年間は原則禁止を継続している。
やはり健康で長生きしたいもの。
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阿蘇中岳噴火前 登って転んだ 顛末記
http://hyocori.exblog.jp/32365476/
2021-11-04T20:51:00+09:00
2021-11-04T20:51:07+09:00
2021-11-04T20:51:07+09:00
hyocori-hyoutan
ああ無常
天気よく快晴…ビデオカメラには風音が入っているが、
それほど強くもなく絶好の登山日和だった。
そのあと、高岳、高岳東峰まで足を延ばした。
阿蘇山頂駐車場から往復で5時間くらいかかった。
恥ずかしながら、帰路の岩場で足を引っかけて一回転…膝を強く打ち出血。
幸い骨に異常なしで元気に下山。
元気なつもりでも年齢は正直ですね。用心用心…。
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スポーツクラブ「エスタ」 サウナも立派 終日の通い詰め
http://hyocori.exblog.jp/32363969/
2021-11-03T14:25:00+09:00
2021-11-03T14:25:00+09:00
2021-11-03T14:25:00+09:00
hyocori-hyoutan
日々ランの雑感
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能古島 30年ぶりの コスモス鑑賞
http://hyocori.exblog.jp/32363296/
2021-11-02T20:48:00+09:00
2021-11-02T20:48:27+09:00
2021-11-02T20:48:27+09:00
hyocori-hyoutan
ああ無常
遅咲きコスモスが満開…
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立憲民主主義に則った総理大臣とは…
http://hyocori.exblog.jp/31648661/
2020-09-07T21:30:00+09:00
2020-09-07T21:30:26+09:00
2020-09-07T21:30:26+09:00
hyocori-hyoutan
日本を考える
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朝Walking 病院までの 1時間
http://hyocori.exblog.jp/31260284/
2020-05-31T00:02:00+09:00
2020-05-31T00:02:27+09:00
2020-05-31T00:02:27+09:00
hyocori-hyoutan
未分類
ついでに、トイレが近いことを説明したら「過活動膀胱」という診断が出た。
それ以来、薬をもらい続けている。それでも尿意を感じてから我慢する時間が短い
だから早め早めのトイレ通いを心掛けている。
夜も2,3回はトイレで目が覚める。
都合がいいのは、朝6時頃に必ず尿意を催す、その時起きてしまえば楽に朝Walkingができる。
今日の朝Walkingがせずに、和白病院までの5,5㎞の往復Walkingに切り替えた。
ゆっくりだから片道1時間、24時間フリーの生活だから時間を気にせずに気持ちよくできる。
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幼稚園の写真 一枚見て 思い出湧き上がる
http://hyocori.exblog.jp/31256790/
2020-05-30T00:22:00+09:00
2020-05-30T00:22:27+09:00
2020-05-30T00:22:27+09:00
hyocori-hyoutan
我が半生記
コロナウィルス禍で自宅待機中が多い、そこで在宅でできる過去写真の整理を始めた。親の幼少期の大正時代から始まり、やっと昭和30年代に入ってきた。
古いアルバムから写真を剥がして、目ぼしい写真はスキャナで取り込みPCに保管、残りの写真と古いアルバムは焼却処分。
金目の物は子どもたちも喜ぶかもしれないが、訳の分からない古い写真ほど処分に困るものはない。どうせ処分されるなら自分で処分した方が子供たちの為…。
幼稚園は福岡市東公園の成蹊幼稚園に1年だけ通った。今でいう一年保育みたいなもの。
クラス名は「たけ組」、何て味気ない名前かなと今思う。
毎日弁当を持参だった。給食なんかなかった。
何を習ったかは忘れてしまった。1958年(昭和33年)4月の入園であった。今思えば戦争が終わって13年目の年だ。たった13年間で平和な時代がやってきたことが写真からわかる。
当時の日本人の復興に掛けた熱意が感じられる。
この写真整理して考えた。自分の半生記を写真をピックアップして書けば簡単にできる。
この写真一枚で幼稚園の思い出が書ける。コロナウィルス禍の今、少しづつやってみよう。
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朝Walk プラス朝寝で 一日始まる
http://hyocori.exblog.jp/31252053/
2020-05-28T22:15:00+09:00
2020-05-28T22:15:25+09:00
2020-05-28T22:15:25+09:00
hyocori-hyoutan
日々ランの雑感
歩いたコースはイオン香椎浜から百年記念公園〜城浜〜自宅である。1時間20分であった。走ったなら40分コースかな。家に戻ると朝シャワーでさらに爽快となる。少しの悩みは1時間以上歩くと左股関節が少ししびれる。無理せずに歩こう。午前中は早起きと朝Walkの疲れか少し足を伸ばして朝寝…これが気持ち良し。ほんの30~40分だけでサイコー。リタイアして24時間自由の身の特権である。
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再開ブログ…どこまで続くか?
http://hyocori.exblog.jp/31249562/
2020-05-27T23:09:00+09:00
2020-05-27T23:09:02+09:00
2020-05-27T23:09:02+09:00
hyocori-hyoutan
ああ無常
相変わらず昔の資料は参考にせず、自分で考えて資料を組み立てていく手法は昔と同じ。
会計処理もエクセルに組み込み、工事も必要に応じて突き進んだ。
過去の資料も全て読み、管理組合30年の歩みも作った。
なぜここまでするのだろうか?過去の資料の時点修正だけでも良いのに…
自問するが、そのやり方は自分の性格だから仕方なし。
今年は暇かと思ったら、引き続き自治会長に手を挙げた。
輪番制だからやらなければならない。やる以上は他人から指示は受けたくない、
だから自ら手を上げた。そしてコロナウィルス禍がやってきた。
何もできない…これも苦痛なものだ。
またブログ再開したが、どこまで続くものか…
頑張ってみます。
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「政治の無知が日本を滅ぼす」の読書感想
http://hyocori.exblog.jp/30064419/
2019-01-23T20:43:00+09:00
2019-01-23T20:43:40+09:00
2019-01-23T20:43:40+09:00
hyocori-hyoutan
読書
そして「第5章近代デモクラシーの政治倫理を理解せよ」につながっていく。普通の人間の政治倫理で政治家を律すると立派な政治家とダメな政治家の区別がつかなくなると定義する。政治指導者の義務は、国民の安全と生活を保障し国の繁栄と外敵から守ることである。さらに民主主義と国民権利を守ること。そのための諸施策を実行することが使命、つまり政治倫理である。少数者の意見を聞くことは大切であるが、多くの国民を守るためには、一般人の倫理に反することもやらなければならない。賭博とか女性問題は一般人の倫理観ではだめかもしれないが、国のリーダーたる政治家が上記のリーダーの果たすべき役割以外のスキャンダル出の失脚は国家のとして弱体につながる。政治家の倫理と一般人の倫理感の混同が今の日本を覆いかぶせている。
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「人にはなぜ教育が必要なのか」を読んで
http://hyocori.exblog.jp/30064165/
2019-01-23T18:00:00+09:00
2019-01-23T18:00:16+09:00
2019-01-23T18:00:16+09:00
hyocori-hyoutan
読書
平等…「みんながいつもおんなじでなければならない」ことではない。競争開始時点での諸条件の平等(法の前での平等)であって、資本主義社会は自由競争の社会だから、自由競争をくぐり抜けたは不平等になっても仕方ない。いつまでも平等というユートピアの世界はないのだから。
自由…日本人は何にも拘束されないこと、宙に浮いている状態みたいなものを自由と考えている。西欧の自由の発生した背景は、王制など絶対権利がある中で、その権利に左右されない、自分の権利が縛られないのを自由という。つまり、自由というのは、「自分を縛る権限からの自由」であり、激しい争いの中で獲得した権利といっていい。国家権力が強いときにその暴威から個人の権利を守るのが「自由」ということ。だから国家権力を否定すれば「自由」はなくなり社会は不安定化、崩壊の兆しということ。
人権…こどもの人権など、女性の人権みたいな使い方をしているが、そんなのは人権ではなく「特定の属性」に与えられた特権にしか過ぎない。人権というから犯すことのない尊いものと考えがちであり、特権といえば、それを与えてくれた社会に感謝の気持ちが出てくるのかな。人権とは人間として生まれたならば、誰でもが持っているはずの固有の権利にしか過ぎない。それを社会生活上の不平等といったら、人権の安売り、社会の崩壊になる。
このような平等や自由、人権という言葉の混乱を招いてる原因は教育の理念方針がないこと、それを支える倫理、道徳、そして宗教的なバックボーンがないことと結んでいる。日本は再生するには目標が共有できる教育、そして日本人の心の中の宗教を再生することになる。
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小室直樹 戦争と平和 戦争を避けるには
http://hyocori.exblog.jp/29910187/
2018-12-21T23:19:00+09:00
2018-12-21T23:19:06+09:00
2018-12-21T23:19:06+09:00
hyocori-hyoutan
読書
・平和主義者は念仏主義者か…台風の上陸を防ぐことはできないが、来るな来るなと唱える人も多い。平和主義者は戦争をするなするな唱えていれば平和な状態が続くと思っているのか。台風は自然の産物であり、平和は人間が作りだすもの、だから人間は努力しなければいけない、念仏を唱えていても平和は潰される。
・戦争と喧嘩は違う…喧嘩は動物でも行う。戦争を行うのは人間だけ。戦争の目的は相手を殺すことではなく、お互いのもめ事、紛争を自分の有利なように解決する手段である。だから、この紛争の原因が解決するために戦争以外のものを見つけなければならない。ただ、まだ戦争を超える解決方法が見つかっていない。戦争の火種を棚上げ、じっと我慢しているに過ぎない。
・国連は150の主権国家の集まりにしか過ぎない…今の世界で法体系や社会規範を取りまとめているのは主権国家であり、国連は主権国家を罰する等の権限はなく、上部組織にはなっていない。
・国連の常任理事国(安全保障理事会)の拒否権をなくせば国連は良い組織になるのか?いや違う…拒否権を取り上げて多数決で国連決議ができるのか、実態を伴うのか?多数決で決められるほど国家間の争いは単純でない。拒否権がなくしても主権国家(150か国)の全員の賛成がなければ結果として執行されない。つまり、5か国の拒否権を取り上げたら加盟国150国に拒否権を与えるようなもの。国の利害を代表している今の国連では無理。
・日本人は国連を自然界のものと考えている。だから無条件に従いがち…国連の構成は主権国家であり日本も一票持ってるのであり、権利を発言すべき。
・この世には正義が150ある。主権国家ごとに利権、国土、文化がことなる、だから正義の名のもとに争いが生じる…正義を上にある規範はまだ見つかっていないが、それを見つける努力は必要である。
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小室直樹 日本国民に告ぐ 心に残る名言あり
http://hyocori.exblog.jp/29907567/
2018-12-20T10:20:00+09:00
2018-12-20T10:20:00+09:00
2018-12-20T10:20:00+09:00
hyocori-hyoutan
読書
この本は、マスメディアがなぜそうなったのか分析をしている。戦後の日本を覆った無秩序、無規範状態での日本人の全てを受け入れる弱さ、良し悪しの吟味なく過去の行動を繰り返す伝統主義などを素因にしている。また、印象的なことは、マッカーサーが戦後の秩序崩壊の推進役として共産主義者に寛容な姿勢を示し、当時の知識層に深く共産主義が浸透をしていた。しかし共産主義が思ったより浸透しなかったので、その流れが人材がそのまま、WGIPの推進役、反日精神としてメディアの中の中枢部を築いてしまったことを原因としている。もう一つ、挙証責任についての考えが曖昧な日本人についても述べている。争いが生じたときに、裁判で言えば原告、被告のどちらに挙証責任があるのか。相手を責める一方であればダメ、誰が証明する責任があるのか。言葉を強く言えば相手に挙証を押し付けられるのかどうか…。なんでも阿吽の呼吸で曖昧にしてしまってはいけない。考えさせられることがテンコ盛りの本だった。
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森喜朗「遺書」には 東京オリンピック開催への 思いがいっぱい
http://hyocori.exblog.jp/29897606/
2018-12-14T00:29:00+09:00
2018-12-14T00:29:34+09:00
2018-12-14T00:29:34+09:00
hyocori-hyoutan
読書
話は戻して、森さんは、IOCや国際競技団体との協議を重ねた上の施設決定などを進めてきたが、小池さんんの過去の経緯を無視して、自分がお山の大将で変革しようとしたこと全てが暗礁に乗り上げ、元の鞘に収まったが、言い訳をして素直に謝らない小池さんの非難が掲載されている。この本を通して、マスコミでは悪いイメージでしか語られない森さんが実は、包容力と政治家の信念を持ち合わせていることを初めて知った。がんと闘いながら組織委員会会長として、残りの命を東京オリンピック開催に捧げている森さんに最敬礼である。
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小室直樹著 数学から社会問題を解く
http://hyocori.exblog.jp/29896006/
2018-12-12T23:27:00+09:00
2018-12-14T00:31:08+09:00
2018-12-12T23:27:28+09:00
hyocori-hyoutan
読書
一つ紹介…
「存在問題」というものがある。「存在しないものに関しては何を言っても正しい」という数学的論理がある。だから議論する前に、そのものが存在するかどうかが大きな問題だ。例えば、「僕の妹は美人だ。今度紹介するね」と言った。そう言われた知人は楽しみにしていた。ところが、後日その妹は存在していないことが分かった。知人は怒った。これは、嘘をついたが、数学的論理から正しいということになる。存在しないものに対して何を言っても正しいのだから。でたらめでも論理の非を指摘できない。同じように、「真の社会主義」について議論しても、「真の社会主義」というものは存在していない。だから、どんなに「真の社会主義」に向けて素晴らしい論を張っても正しいことになる。逆に「真の社会主義」に向けて非の論を張っても正しいことになる。実りのない議論になる。論理を、存在を、定義を明確にしてからでないと実りがないということか。
国会でも不毛な議論が何となくわかってきた。お互いに言いたい放題であり、何を言っても正しい、あるいは悪い状態だ。議論ができない。モリカケ問題などは存在しない、客観的な証拠もない状態での追及では解決するわけがない。
唯一、共通項は「日本の未来を良くする」を「存在」として定義すれば議論できるかもしれないが、やはり無理か。日本の将来の青写真がバラバラだものね。
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